実は人間、病気で悩んでいるうちが花、病気があってもなくても実は寿命は同じ、生命力が尽きた時に死ぬだけ
つくづく感じるのは、今の今まで生きてきて、人の命はごく
ごく短いこと。それはまた救いかもしれない。人間、あらゆる
面で様々だが、寿命という点では基本、変わらない。寿命は遺
伝子の設計図に基本組み込まれているから、運命は最初から決
まっている。それだけのことだが、この世は語られるのは病気、
医療のことばかりだから、病気を如何に防ぎ、また克服し、病
気でなければ、生命は永遠に続くかごとき錯覚を与えられてい
るのは否めない。
私自身が少年時代から超深刻な病気を罹患、長年、云うに云わ
れぬ苦しみの中に身をおいてきた。医者は「腎臓病な治らない」
という。治りにくいのは確かだが、別に実質治癒は十分可能だ。
私は55年以上の試行錯誤の節制を通じ、諸検査では「もう異常な
し」と言われた。だからといって、全く元通りともいい難いが
いたってリーズナブルである。だが、年齢は残酷である。一気の
サルコペニア、加齢性のサルコペニアである。痩せて筋肉減少は
老化の云うならば先兵である。今まで以上に食べて、有効な筋肉
運動をしてもさっぱり大幅減少の体重はほぼ増えないのである。
私はつくづく痛切に感じるのは、実は人間、病気で悩んでいる
うちが花だ、ということだ。無論、病気がなければ体調は悪くは
ないから気分よく生きられるだろう。だが、人生の長さ、いくら
個人が生きられるかという意味での寿命は病気があろうが、なか
ろうが基本、変わらないということだ。無病の果てが不老長寿で
はない。無病も有病も基本、生きられる時間に変わりはない、と
いうことだ。がん細胞が消えた、ガンは治った、が(別に副作用な
どが影響でなく)生命力が尽きて死んだ、というに類する話は多い。
生命は分析できるが諸要素を総合して現実の生命を作ることは
出来ない。単に理屈じゃ病気は治らないし、無病でも総合の極致
の生命力が尽きたら、おしまいである。
生命力と云ってそれを遺伝子の設計図、というならみもふたも
ないが基本はそうだろう。生涯の心臓の拍動回数はもうほぼ決ま
っている、のかもしれない。だが生命力の本質は遺伝子の設計図
に単に依存、ともいい難い気がする。さらに神秘なものがあると
いうべきか、である。
この記事へのコメント