新藤兼人『公孫樹』1980、亡くなった姉の懐古、家を守り支えるのは男兄弟でなく実は女兄弟であったという真実


 あの新藤兼人監督の亡くなった姉、その懐古、追想である。
サブタイトルは「ある平凡な女の生涯」である。新藤監督の
姉、新藤アキコは広島で助産婦をしていたという一人の平凡
な女性であった。新藤監督は現在の広島市佐伯区五日市の生
まれである。

 images (63).jpg

 で新藤監督はこの姉、次姉だが、この姉に何ともあふれる
ような多くの想いであるという。その思い出の中で痛切なも
のが、小学校一年の時、新藤監督が登校がいやで、通学の途
中の田圃の間の道を歩きながら、履いていた雨下駄を何度も
何度も繰り返し、田圃の中に放り込んだのに、五年生の姉が、
そのたびに膝まで田圃に、ぬかるんだ田圃の泥につかって、
傘もささずに、入って行ってその放られた下駄を持ってきて
くれた、というのだ。これほど親身に弟を思い、かばってく
れた優しさは生涯変わることはなかった、というから何とも
有難い、見上げた姉というほかはない。

 実は長姉がいて、ヒデヨといったが、大正時代、家が破綻
し、没落した時、アメリカの日系二世に嫁いでいった。移民
だった。アメリカでは排日移民法が吹き荒れそうであった。
まだ幼かった弟の新藤監督は、近所の噂もあって、姉は多額
の結納金で家を救うために渡米した、と信じていて、それが
姉たちへの信仰にも近い尊敬、畏敬の念となっていたという。

 実はこの本の刊行の前年、新藤監督はアメリカに行き、53
年ぶりに長姉と再会したという。だが長姉は弟のその結納金
発言を知っていた、「私は金目当てで結婚したんじゃない、
新藤家はそんなさもしいことをする家じゃない、そんなこと
書かないでほしい。笑われるだけです」と云ったそうだ・

 アメリカに移民で渡っても長姉は新藤家の誇りを持ち続けて
いたのだった。次姉のアキコも同じであった。没落した家を、
なお強くかばい続けた。弟たちをもかばい続け、地味でも平凡
でも誠心誠意に生きたという。

 逆に男兄弟は、むしろ家という意識からはみ出してしまった。
父親の弟がそうだったし、新藤監督の兄もそうだった、尾道で
刑事をしていた兄は羽振りがよかったが戦後、些細なはずみで
道を外れ、浮気相手と駆け落ちし、落ちぶれて死んだ、という。

 タイトルの公孫樹は、没落し、家まで解体して売却後に残っ
た大木だという。家は破滅、男た地は逃げるように出て行った。
実は家の魂は女にこそ宿っていたのであった。男たちを励まし、
かばい、その姉の一人がいま亡くなり、一族の誰一人、故郷に
おらず、先祖の墓も移転となった。

 確かに柳田邦男『妹の力』という文章に、かって妹こそが兄
に対して精神の支えになる、という伝統が日本にあったという。
『公孫樹』では姉であるが、日本は実は女こそ、家を守り支え
てきた、という一例が感銘深く語られている。あくまで私的な
懐古であるが、教えられることが多い。

この記事へのコメント