マルタン・グレイ『愛する者の名において』長塚訳、早川文庫,ワルシャワ・ゲットーでのゲリラ戦から強制収容所を生き抜いた驚異の闘いの記録
世界史でももっとも悲惨な運命というべきポーランド系ユダ
ヤ人、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮、民族殲滅の
ホロコースト、そのユダヤ人の中でも最も過酷な状況にさらさ
れたポーランド系ユダヤ人のなんとも熾烈な証言記録だ。
1939年9月、ドイツ軍は14歳の少年マルタンのその一家が住
むワルシャワを占領した。まさに悲劇の始まりだった。ゲット
ー、つまりユダヤ人居住区の封鎖によるユダヤ人絶滅政策、作
戦に対し、マルタン少年は命がけで闇の商売をやって生活物資
を運び込んだ。ナチスのが始めた「東方移住」とは、トレブリ
ンカ収容所に行きつき、それはすなわち死を意味した。だがマ
ルタン少年はそれを何度も逃げきった。父とともにゲットー内
でゲリラ戦を行い続けた。
だがついに、母と弟らが隠れ家から東方移住に追い立てられ
るのを見て、マルタン少年は意を決して行動を共にした。
トレブリンカ収容所で母と弟は即日、ガス室に送られた。だ
がマルタン少年は強制労働に回され、ガス室はまずはまぬかれ
た。そこでマルタン少年は脱出計画を練った。
「生き抜いて逃げ延び、真実を伝えて連中に報復してやる。
この言葉を積み上げるうちに、それが恐怖と自暴自棄と絶望
への防波堤となる」
やがてマルタン少年は収容所内の死体処理係に回される。殺
人鬼同然の監視兵のもと、死と隣り合わせての作業が続いた。
そこに人間の時間はなく生命の時も存在しない。人間そのもの
が抹殺されていた。マルタン少年は叫ぶ
「生きろ、マルタン、生き延びて奴らを殺せ。私の目も口も
頭もこの言葉で充満していた。それこそ私の食糧であり、薬で
あった」
マルタン少年はついに脱走を果たし、命がけの旅を続けてワ
ルシャワに戻り、父と再会した。今や、戦うことだけが生命を
取り戻せる唯一の方法だった。1943年5月、ゲットーでの一斉
蜂起、だが敗れた。目の前で父を殺されたマルタン少年は脱出、
対独パルチザンに加わった。戦いと報復、それこそが生きる支
えとなった。だがドイツ降伏で赤軍中尉でベルリン入城したマ
ルタンは19歳となっていた、がここで勝利の空しさを思い知る。
勝者は逆に新たな加害者、殺戮者となり得る、マルタンは悟
った。
「死は取り返しがつかない。それを消せるのは別の生命だけ
だ」
その新しい生命であるマルタンの愛する者のため、新たな場
所を築こうとマルタンはニューヨークに住む母方の祖母を頼っ
て渡米する。アメリカでマルタンの新たな戦いが始まったのだ。
マルタンは生きるため、あこぎな古美術売買をやって資産を
築いた。ついに最愛の妻を得たマルタンは今度は南フランスの
タマロンの丘に新居を構える。親子5人の幸福な生活が続いたが
、ある日山火事発生で火炎は妻と子供すべての命を奪った。そ
の火炎の煙の中にマルタンはゲットー、トレブリンカの臭気を
感じ取った。
ここまで過酷を極めた人生で、一人の人間がどうして生き続け
られたのか、だ。死者の山で埋まったような人生は、愛する者に
自分の生命をも託した、と信じることだけが生きる支えとなった、
とはいうが。
想像を絶する体験を口述で記録、一冊にまとめたこの本、比類
ない。
マルタン・グレイ(Martin Gray, 1922年4月27日 - 2016年4月24日
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