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    <title>つぶやき館　(元祖つぶやき館)　移転しました</title>
    <link>https://tsubuyaki3578.com/</link>
    <description>2010年にウェブリブログで始めた「つぶやき舘」を移転いたしました。内容は特定のテーマはありません。マルチ分野に徹します。2022年4月開始予定、忖度なし、本質をえぐるブログを目指します。ジャンルは便宜上「文学」です。PC版でお願いします。神戸大学法学部卒。三井誠ゼミ（刑法第二）、国立大学歯学部卒、日本口腔外科学会会員。岡山県出身、岡山県在住。運営のブログはこの「つぶやき館」ただ一つです。</description>
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    <itunes:summary>2010年にウェブリブログで始めた「つぶやき舘」を移転いたし ました。内容は特定のテーマはありません。マルチ分野に徹しま す。2022年4月開始予定、忖度なし、本質をえぐるブログを目指 します。ジャンルは便宜上「文学」です。PC版でお願いします。 神戸大学法学部卒。三井誠ゼミ（刑法第二）、国立大学歯学部卒 、日本口腔外科学会会員。岡山県出身、岡山県在住。運営のブロ グはこの「つぶやき館」ただ一つです。    </itunes:summary>
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    <itunes:author>ポコアポコ3578</itunes:author>
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        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521178789.html</link>
      <title>真夏の狂宴すぎる高校野球、夏の甲子園大会とその地方予選。さすがにもうやめる時期では？</title>
      <pubDate>Tue, 21 Jul 2026 12:29:27 +0900</pubDate>
            <description>　　別に温暖化論や脱炭素原理主義には与するつもりはない。が、従来から当然視されてきた真夏の高校野球、地方予選と甲子園本大会、だがもう限界という気がする。戦前から戦後、貧困から必死に立ち上がった日本人、そこで炎天下の高校野球は常識的にはおかしくても、無理を突破する努力、という意味合いの日本人の当時の精神的状況に合致していた。真夏の無理を承知の風物詩、だったがそれもやはり終焉に近づいている気がする。戦争で焦土化、世界の五等国に転落、残ったのは四島のみ、資源はなく人口のみ多い、・・..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE3838920-202026-07-21T123315.388.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="&#x30C0;&#x30A6;&#x30F3;&#x30ED;&#x30FC;&#x30C9; - 2026-07-21T123315.388.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE3838920-202026-07-21T123315.388-thumbnail2.jpg" width="275" height="183"></a>
　別に温暖化論や脱炭素原理主義には与するつもりはない。
が、従来から当然視されてきた真夏の高校野球、地方予選と
甲子園本大会、だがもう限界という気がする。戦前から戦後、
貧困から必死に立ち上がった日本人、そこで炎天下の高校野
球は常識的にはおかしくても、無理を突破する努力、という
意味合いの日本人の当時の精神的状況に合致していた。真夏
の無理を承知の風物詩、だったがそれもやはり終焉に近づい
ている気がする。戦争で焦土化、世界の五等国に転落、残っ
たのは四島のみ、資源はなく人口のみ多い、・・・・・とい
うないないずくしの貧困日本の精神的風土が、戦前からとは
云え、戦後の高校野球、甲子園大会の異常な隆盛につながっ
たと見る。

　炎天下の競技、長時間の試合は非常識であるが、それを云
うなら真夏のインタハイも同じことだ。屋外、炎天下の競技
ばかりでもないが、種目によっては真夏のインタハイ参加は
パスしようという競技団体もある。

　だが高校野球は常に甲子園大会至上主義、負けたら終わり
のノックアウト形式、だから常にベストメンバーで臨む。通
常は7月で3年生は「引退」となる。

　さらにいえば4月にスタートという日本の学制が大きな要素
である。これでは冬に不向きなスポーツは夏に全国大会を行う
しかない、インタハイも真夏である。

　さりとて日本を世界の趨勢の9月スタート、はもう不可能で
ある。豪州、NZ,シンガポールなどは1，2月スタートである。
似ているのは韓国の3月。9月スタートの学制でないといい季節
に全国大会は難しい。だが日本とは無縁である。

　ウィンタースポーツ、また冬季開催も何の支障もない、むし
ろ好都合な競技もかなりある。ただ野球は冬に不向きである。

　いかに甲子園夏の大会を二部制、あるいは7回制にしても基本
的に変わらない。予選はどうしようもないから、である。ほぼ、
全ての高校は予選で終わるのである。

　妙案はない。













<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE3838920-202026-07-21T123315.388.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="ダウンロード - 2026-07-21T123315.388.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE3838920-202026-07-21T123315.388-thumbnail2.jpg" width="275" height="183" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE3838920-202026-07-21T123315.388-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　別に温暖化論や脱炭素原理主義には与するつもりはない。<br />が、従来から当然視されてきた真夏の高校野球、地方予選と<br />甲子園本大会、だがもう限界という気がする。戦前から戦後、<br />貧困から必死に立ち上がった日本人、そこで炎天下の高校野<br />球は常識的にはおかしくても、無理を突破する努力、という<br />意味合いの日本人の当時の精神的状況に合致していた。真夏<br />の無理を承知の風物詩、だったがそれもやはり終焉に近づい<br />ている気がする。戦争で焦土化、世界の五等国に転落、残っ<br />たのは四島のみ、資源はなく人口のみ多い、・・・・・とい<br />うないないずくしの貧困日本の精神的風土が、戦前からとは<br />云え、戦後の高校野球、甲子園大会の異常な隆盛につながっ<br />たと見る。<br /><br />　炎天下の競技、長時間の試合は非常識であるが、それを云<br />うなら真夏のインタハイも同じことだ。屋外、炎天下の競技<br />ばかりでもないが、種目によっては真夏のインタハイ参加は<br />パスしようという競技団体もある。<br /><br />　だが高校野球は常に甲子園大会至上主義、負けたら終わり<br />のノックアウト形式、だから常にベストメンバーで臨む。通<br />常は7月で3年生は「引退」となる。<br /><br />　さらにいえば4月にスタートという日本の学制が大きな要素<br />である。これでは冬に不向きなスポーツは夏に全国大会を行う<br />しかない、インタハイも真夏である。<br /><br />　さりとて日本を世界の趨勢の9月スタート、はもう不可能で<br />ある。豪州、NZ,シンガポールなどは1，2月スタートである。<br />似ているのは韓国の3月。9月スタートの学制でないといい季節<br />に全国大会は難しい。だが日本とは無縁である。<br /><br />　ウィンタースポーツ、また冬季開催も何の支障もない、むし<br />ろ好都合な競技もかなりある。ただ野球は冬に不向きである。<br /><br />　いかに甲子園夏の大会を二部制、あるいは7回制にしても基本<br />的に変わらない。予選はどうしようもないから、である。ほぼ、<br />全ての高校は予選で終わるのである。<br /><br />　妙案はない。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521178789</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521175582.html</link>
      <title>何とも不穏な日本、「絶対に首相になってはいけない政治家」が首相になった、「戦闘員は最後まで戦っていただく」の発言の降伏不可の異常さ</title>
      <pubDate>Mon, 20 Jul 2026 22:20:02 +0900</pubDate>
            <description>　　  さて、「皇室典範改正」では、今後、潜在的でも天皇家と政治権力との間に云うにいわれぬ緊迫した関係を生むことになった。だが私がつくづく感じるのは高市早苗という人物、本当は間違っても政治家になってはいけない人物というほかないが、それが日本国の総理、首相になったのである。憲政史上初の初の女性首相ともてはやす向きがあり、事の本質を残念ながら理解できない多くの国民がいたということである。国を誤った方向に導く、他のいかなる政治家が首相になった場合にはあり得なかった危険性なのである。..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2-thumbnail2.jpg" width="513" height="297"></a>
  さて、「皇室典範改正」では、今後、潜在的でも天皇家と政治
権力との間に云うにいわれぬ緊迫した関係を生むことになった。
だが私がつくづく感じるのは高市早苗という人物、本当は間違っ
ても政治家になってはいけない人物というほかないが、それが日
本国の総理、首相になったのである。憲政史上初の初の女性首相
ともてはやす向きがあり、事の本質を残念ながら理解できない多
くの国民がいたということである。国を誤った方向に導く、他の
いかなる政治家が首相になった場合にはあり得なかった危険性な
のである。

　私は高市早苗という人物がそのキャリアスタートとなったアメ
リカ下院議員事務所に提出の履歴書に「軍事問題の権威」という
虚偽記載を行った、ことである。無論、このようなことは断じて
許されることではないが、その後もウソの成功体験を積み重ねて
きた。よりによって、そのような人物が国会議員となって、つい
に首相となった。戦慄というほかないが、まだ大半の国民がそれ
をほとんど実感していないのである。

　したがって重要なことは「防衛問題」への誤った政策である。
高市早苗は年内の閣議決定を目指し、国家安全保障戦略の、安全
保証産文書の改定作業を行うとしている。だがさん文書が改定され
らのは2022年12月である。政経塾を出たばかりの小娘が履歴書に
軍事問題の権威」と書いた歪んだ魂胆が首相になリおおせて、また
噴出である。虚構の軍事問題の権威の幻想が、軍事で何か手柄を作
ておきたい、というしかない。

　首相就任以前からの態度に輪をかけて中国への挑発を続けている。
これがまた反中感情の国民、反中をかくと売れるという国内メディ
アに受けて、決して口にしてはならない掟「台湾有事での軍事介入」
を国会で答弁し、以後、一切の訂正も拒否している。それが手柄に
なるという、国民に受けるという本能的な感覚だろうが、いまどき
世界に存在しない本来の意味での「戦艦」を国会答弁で口走り、そ
の疑念に「中国の戦艦は存在する」と閣議決定したほどだ。

さて清谷信一氏が3月24日、報道官会見で高市発言について質問した。

　それは「大変、申し訳ないが、戦闘員には最後まで戦っていただく」
という高市発言である。

　戦闘員とは自衛隊員である。高市早苗の発言は自衛官が戦闘に際し
て降伏は認めない、という意味に取るしかない。それはただ戦前の「
生きて虜囚の辱めを受けるな」という降伏禁止と同じである。

　清水氏は旧日本軍の人権無視、国際条約違反ではないかと安居院
公仁報道官に質問したのだが、なんとも狼狽した様子で

　「後日、返答する」

　だが今もって返答はない、。一度言った発言は絶対に訂正や、まし
て撤回しないという高市早苗だから、忖度してだろう。これでは、そ
コラの軍事マニアの女番長が首相になったのと変わる点はない。

　要するに軍事問題の権威と虚偽を履歴書に記載、したほどの高市早苗
自衛隊を指揮する一国の首相、内閣総理大臣には不適任は明らかである。

　絶対に、絶対に首相になるべきでない人物が首相になっている日本。
懸念されるでは済まされない状況である。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
　　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2-thumbnail2.jpg" width="513" height="297" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/730015649_4012953869007127_880605918657519612_n-thumbnail2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />  さて、「皇室典範改正」では、今後、潜在的でも天皇家と政治<br />権力との間に云うにいわれぬ緊迫した関係を生むことになった。<br />だが私がつくづく感じるのは高市早苗という人物、本当は間違っ<br />ても政治家になってはいけない人物というほかないが、それが日<br />本国の総理、首相になったのである。憲政史上初の初の女性首相<br />ともてはやす向きがあり、事の本質を残念ながら理解できない多<br />くの国民がいたということである。国を誤った方向に導く、他の<br />いかなる政治家が首相になった場合にはあり得なかった危険性な<br />のである。<br /><br />　私は高市早苗という人物がそのキャリアスタートとなったアメ<br />リカ下院議員事務所に提出の履歴書に「軍事問題の権威」という<br />虚偽記載を行った、ことである。無論、このようなことは断じて<br />許されることではないが、その後もウソの成功体験を積み重ねて<br />きた。よりによって、そのような人物が国会議員となって、つい<br />に首相となった。戦慄というほかないが、まだ大半の国民がそれ<br />をほとんど実感していないのである。<br /><br />　したがって重要なことは「防衛問題」への誤った政策である。<br />高市早苗は年内の閣議決定を目指し、国家安全保障戦略の、安全<br />保証産文書の改定作業を行うとしている。だがさん文書が改定され<br />らのは2022年12月である。政経塾を出たばかりの小娘が履歴書に<br />軍事問題の権威」と書いた歪んだ魂胆が首相になリおおせて、また<br />噴出である。虚構の軍事問題の権威の幻想が、軍事で何か手柄を作<br />ておきたい、というしかない。<br /><br />　首相就任以前からの態度に輪をかけて中国への挑発を続けている。<br />これがまた反中感情の国民、反中をかくと売れるという国内メディ<br />アに受けて、決して口にしてはならない掟「台湾有事での軍事介入」<br />を国会で答弁し、以後、一切の訂正も拒否している。それが手柄に<br />なるという、国民に受けるという本能的な感覚だろうが、いまどき<br />世界に存在しない本来の意味での「戦艦」を国会答弁で口走り、そ<br />の疑念に「中国の戦艦は存在する」と閣議決定したほどだ。<br /><br />さて清谷信一氏が3月24日、報道官会見で高市発言について質問した。<br /><br />　それは「大変、申し訳ないが、戦闘員には最後まで戦っていただく」<br />という高市発言である。<br /><br />　戦闘員とは自衛隊員である。高市早苗の発言は自衛官が戦闘に際し<br />て降伏は認めない、という意味に取るしかない。それはただ戦前の「<br />生きて虜囚の辱めを受けるな」という降伏禁止と同じである。<br /><br />　清水氏は旧日本軍の人権無視、国際条約違反ではないかと安居院<br />公仁報道官に質問したのだが、なんとも狼狽した様子で<br /><br />　「後日、返答する」<br /><br />　だが今もって返答はない、。一度言った発言は絶対に訂正や、まし<br />て撤回しないという高市早苗だから、忖度してだろう。これでは、そ<br />コラの軍事マニアの女番長が首相になったのと変わる点はない。<br /><br />　要するに軍事問題の権威と虚偽を履歴書に記載、したほどの高市早苗<br />自衛隊を指揮する一国の首相、内閣総理大臣には不適任は明らかである。<br /><br />　絶対に、絶対に首相になるべきでない人物が首相になっている日本。<br />懸念されるでは済まされない状況である。<br /><a name="more"></a>

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            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521172293.html</link>
      <title>ジョージ・スタイナー『青鬚の城にて』副題：「文化の定義の覚書」、文化の高度化も政治の野蛮化を防げないことへの批判</title>
      <pubDate>Mon, 20 Jul 2026 12:07:09 +0900</pubDate>
            <description>　著者のジョージ・スタイナー、1929～2020、オーストリア系ユダヤ人としてパリに生まれる。戦時下、ユダヤ人迫害により一家でアメリカ亡命、1948年、シカゴ大学卒業、ハーバード大で修士取得、1955年にオックスフォード大学で博士号取得、文芸評論家、哲学者、作家、・・・・・　原題はIn Bluebeard&#39;s Castle, 青いヒゲの城の中でというタイトルだが、思わせぶりだ。副題が「文化の再定義への覚書」それはT.S.Eliotが1950年ころか、「文化の定義についての覚書..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028829-4042b.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (8).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028829-4042b-thumbnail2.jpg" width="527" height="379"></a>
　著者のジョージ・スタイナー、1929～2020、オーストリア
系ユダヤ人としてパリに生まれる。戦時下、ユダヤ人迫害によ
り一家でアメリカ亡命、1948年、シカゴ大学卒業、ハーバード
大で修士取得、1955年にオックスフォード大学で博士号取得、
文芸評論家、哲学者、作家、・・・・・

　原題はIn Bluebeard's Castle, 青いヒゲの城の中でというタイ
トルだが、思わせぶりだ。

副題が「文化の再定義への覚書」それはT.S.Eliotが1950年ころか、
「文化の定義についての覚書」を発表したことへの意識である。
つまり、あの名声高き、ノーベル文学賞受賞の詩人が（余談だが
コリンウィルソンが「アウサイダー」でエリオットを取り上げて
いるのは滑稽だ。典型的なインサイダーである）第二次大戦での
ホロコーストという惨劇について避けてふれることもなく、ただ
キリスト教的秩序を何やらくどくど御託を並べて文化を論じてい
ることへの痛烈なる批判なのである。

　スタイナーは言う、東欧でユダヤ人問題の「最終解決」を行っ
た連中の中にはバッハ、モーツァルト、ゲーテなどの高度！な
文化の鑑賞家、愛好家が多く、実際に演奏家という者もかなりい
たという。あの虐殺絶滅収容所の近くに哲学者のハイデッガーは
悠々と晩年を過ごし、高度なる哲学に向かっていた。と、すれば
だ、いかに文化、文明が高度化、高尚になろうと現実の政治の野
蛮化、ファッショ化、独裁化の前には何の意味もない、というこ
とになる。あるいは文化など仮装であり、その中には残忍さ、野
蛮風さを内蔵しているということなのか。

　「第一次大戦の勃発から第二次大戦の終わりまでに、ヨーロッ
パとロシアで約7千人の人間が戦争、飢餓、意図的な虐殺で死んだ
こと、その恐怖の様相が根底で、何ら考慮されない文化の理論な
ど私には無責任極まると思えてならない」

　スタイナーがこのような問題提起を行う動機は、まさに彼自身
がオーストリー系のユダヤ人で、父親の奇蹟的な先読みでドイツ
軍によるパリ占領の半年前に一家でアメリカに脱出、かろうじて
生き残ることができた、という切実な体験がベースにある。

　だが重大なことは、実体験での痛切な思い、それゆえ語り口が
激しやすいにもかかわらず、その論理は説得力あるものであり、
情趣にひたり、感情に溺れるなどと云う傾向はごく希薄だ。実に
明確な思弁に裏づけられている。

　例えば、スタイナーによれば近代西欧文明を批判すればそれで
一応いいわけだが、第三世界へのヨーロッパの態度を論じる際に
、「自分たちがかって奴隷とした者に対しては、その後、悔悟の
心情をこれほどとった民族がいただろうか、輝かしい文明を道徳
的に告発しえた民族がいただろうか」と絶賛している。

　まあ、立派な文明批評の本とは思うが、テーマが実際、深刻な
だけに、何も結論が明示できているわけでもない。読者も何より
も批判的に受け止める姿勢が必要と感じる。

　
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028829-4042b.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (8).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028829-4042b-thumbnail2.jpg" width="527" height="379" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images2028829-4042b-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　著者のジョージ・スタイナー、1929～2020、オーストリア<br />系ユダヤ人としてパリに生まれる。戦時下、ユダヤ人迫害によ<br />り一家でアメリカ亡命、1948年、シカゴ大学卒業、ハーバード<br />大で修士取得、1955年にオックスフォード大学で博士号取得、<br />文芸評論家、哲学者、作家、・・・・・<br /><br />　原題はIn Bluebeard's Castle, 青いヒゲの城の中でというタイ<br />トルだが、思わせぶりだ。<br /><br />副題が「文化の再定義への覚書」それはT.S.Eliotが1950年ころか、<br />「文化の定義についての覚書」を発表したことへの意識である。<br />つまり、あの名声高き、ノーベル文学賞受賞の詩人が（余談だが<br />コリンウィルソンが「アウサイダー」でエリオットを取り上げて<br />いるのは滑稽だ。典型的なインサイダーである）第二次大戦での<br />ホロコーストという惨劇について避けてふれることもなく、ただ<br />キリスト教的秩序を何やらくどくど御託を並べて文化を論じてい<br />ることへの痛烈なる批判なのである。<br /><br />　スタイナーは言う、東欧でユダヤ人問題の「最終解決」を行っ<br />た連中の中にはバッハ、モーツァルト、ゲーテなどの高度！な<br />文化の鑑賞家、愛好家が多く、実際に演奏家という者もかなりい<br />たという。あの虐殺絶滅収容所の近くに哲学者のハイデッガーは<br />悠々と晩年を過ごし、高度なる哲学に向かっていた。と、すれば<br />だ、いかに文化、文明が高度化、高尚になろうと現実の政治の野<br />蛮化、ファッショ化、独裁化の前には何の意味もない、というこ<br />とになる。あるいは文化など仮装であり、その中には残忍さ、野<br />蛮風さを内蔵しているということなのか。<br /><br />　「第一次大戦の勃発から第二次大戦の終わりまでに、ヨーロッ<br />パとロシアで約7千人の人間が戦争、飢餓、意図的な虐殺で死んだ<br />こと、その恐怖の様相が根底で、何ら考慮されない文化の理論な<br />ど私には無責任極まると思えてならない」<br /><br />　スタイナーがこのような問題提起を行う動機は、まさに彼自身<br />がオーストリー系のユダヤ人で、父親の奇蹟的な先読みでドイツ<br />軍によるパリ占領の半年前に一家でアメリカに脱出、かろうじて<br />生き残ることができた、という切実な体験がベースにある。<br /><br />　だが重大なことは、実体験での痛切な思い、それゆえ語り口が<br />激しやすいにもかかわらず、その論理は説得力あるものであり、<br />情趣にひたり、感情に溺れるなどと云う傾向はごく希薄だ。実に<br />明確な思弁に裏づけられている。<br /><br />　例えば、スタイナーによれば近代西欧文明を批判すればそれで<br />一応いいわけだが、第三世界へのヨーロッパの態度を論じる際に<br />、「自分たちがかって奴隷とした者に対しては、その後、悔悟の<br />心情をこれほどとった民族がいただろうか、輝かしい文明を道徳<br />的に告発しえた民族がいただろうか」と絶賛している。<br /><br />　まあ、立派な文明批評の本とは思うが、テーマが実際、深刻な<br />だけに、何も結論が明示できているわけでもない。読者も何より<br />も批判的に受け止める姿勢が必要と感じる。<br /><br />　<br /><a name="more"></a>

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            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521172293</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521168452.html</link>
      <title>天皇陛下が宮中クーデターの「皇室典範改正」法案への印璽を保留、拒否を行うべきだろうか？</title>
      <pubDate>Sun, 19 Jul 2026 20:41:58 +0900</pubDate>
            <description>　　「通説」では天皇の行う国事行為は全て内閣の助言と承認でなされ、責任は内閣が追う。そこには天皇自身の判断は一切、存在し得ない、認められない、ということである、のは周知の通りである。憲法に規定される天皇の国事行為は数多いが、そこでは天皇は完全に広義の印鑑であり、全く形式的存在である、ということである。天皇自身の裁量は一切ない、認められない、というなら形式の見せかけで天皇が存在するに過ぎず、なぜ存在？となると、それは「日本の象徴」だから、国事行為は形式を極めたものでしかない、・..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282729-7f2e7.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (27).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282729-7f2e7-thumbnail2.jpg" width="448" height="446"></a>
　「通説」では天皇の行う国事行為は全て内閣の助言と承認で
なされ、責任は内閣が追う。そこには天皇自身の判断は一切、
存在し得ない、認められない、ということである、のは周知の
通りである。憲法に規定される天皇の国事行為は数多いが、そ
こでは天皇は完全に広義の印鑑であり、全く形式的存在である、
ということである。天皇自身の裁量は一切ない、認められない、
というなら形式の見せかけで天皇が存在するに過ぎず、なぜ存
在？となると、それは「日本の象徴」だから、国事行為は形式
を極めたものでしかない、・・・・・というわけである。

　だが現在の上皇が若い頃、内々で父親の昭和天皇が本心では
開戦に不同意であったにも拘らず、開戦の詔勅を拒否出来ず、そ
の結果が惨憺たる戦争被害をもたらしたこと、も鑑みて、「私は
権限の本筋に反することであっても開戦の詔勅は拒否する」と述
べられたという。平成天皇の超平和主義からして、それは頷ける
言葉である。その超平和主義を今上天皇、徳仁天皇も受け継いで
おられる。したがって自民党の政治家たちの平成天皇への軽視、
侮蔑は隠しようもなく、それが今上天皇にいたって皇室の将来的
な乗っ取り、皇統奪取をはかる手段、政治家の傀儡となる天皇、
皇室のでっち上げのための旧宮家からの養子制度、が悪の結実を
今回果たしてしまった。麻生の妹はヒゲの殿下、寛仁殿下の奥方
だそうだ。単に法で養子制度、ではなく麻生ら絶対に目星をつけ
ての皇室典範改正であったことは間違いない。

　もう平成天皇、徳仁天皇のような超平和主義、世界平和至上主
義の天皇は邪魔とばかりに、悪の構図だが、あきらかクーデター
といって何の過言でもない「皇室典範改正」に乾坤一擲、今上天
皇が法案への印璽を拒否、あるいは保留をなしたらどうだろうか。
そうなったらどうなる？それを論じた説自体を見ないのだが。

通説では天皇が国事行為に独自の裁量は出来ない、というが、その
気になれば可能である。「通説」に反する、法務省の考えに反する
としても実質、クーデターへの対応ということで、とりあえず保留
という御判断はなし得ないだろうか。無論、そうなると政権が皇室
費の削減など、報復に出てくるだろう。今上天皇も退位を覚悟で、
とならざるを得ないが、それほど事態は深刻なのである。後継は既
に秋篠宮殿下と順位は決まっている。

　総理に極道がなったらどうなるのか、その混乱の悲劇が現実化し
ているのである。

<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282729-7f2e7.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (27).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282729-7f2e7-thumbnail2.jpg" width="448" height="446" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20282729-7f2e7-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　「通説」では天皇の行う国事行為は全て内閣の助言と承認で<br />なされ、責任は内閣が追う。そこには天皇自身の判断は一切、<br />存在し得ない、認められない、ということである、のは周知の<br />通りである。憲法に規定される天皇の国事行為は数多いが、そ<br />こでは天皇は完全に広義の印鑑であり、全く形式的存在である、<br />ということである。天皇自身の裁量は一切ない、認められない、<br />というなら形式の見せかけで天皇が存在するに過ぎず、なぜ存<br />在？となると、それは「日本の象徴」だから、国事行為は形式<br />を極めたものでしかない、・・・・・というわけである。<br /><br />　だが現在の上皇が若い頃、内々で父親の昭和天皇が本心では<br />開戦に不同意であったにも拘らず、開戦の詔勅を拒否出来ず、そ<br />の結果が惨憺たる戦争被害をもたらしたこと、も鑑みて、「私は<br />権限の本筋に反することであっても開戦の詔勅は拒否する」と述<br />べられたという。平成天皇の超平和主義からして、それは頷ける<br />言葉である。その超平和主義を今上天皇、徳仁天皇も受け継いで<br />おられる。したがって自民党の政治家たちの平成天皇への軽視、<br />侮蔑は隠しようもなく、それが今上天皇にいたって皇室の将来的<br />な乗っ取り、皇統奪取をはかる手段、政治家の傀儡となる天皇、<br />皇室のでっち上げのための旧宮家からの養子制度、が悪の結実を<br />今回果たしてしまった。麻生の妹はヒゲの殿下、寛仁殿下の奥方<br />だそうだ。単に法で養子制度、ではなく麻生ら絶対に目星をつけ<br />ての皇室典範改正であったことは間違いない。<br /><br />　もう平成天皇、徳仁天皇のような超平和主義、世界平和至上主<br />義の天皇は邪魔とばかりに、悪の構図だが、あきらかクーデター<br />といって何の過言でもない「皇室典範改正」に乾坤一擲、今上天<br />皇が法案への印璽を拒否、あるいは保留をなしたらどうだろうか。<br />そうなったらどうなる？それを論じた説自体を見ないのだが。<br /><br />通説では天皇が国事行為に独自の裁量は出来ない、というが、その<br />気になれば可能である。「通説」に反する、法務省の考えに反する<br />としても実質、クーデターへの対応ということで、とりあえず保留<br />という御判断はなし得ないだろうか。無論、そうなると政権が皇室<br />費の削減など、報復に出てくるだろう。今上天皇も退位を覚悟で、<br />とならざるを得ないが、それほど事態は深刻なのである。後継は既<br />に秋篠宮殿下と順位は決まっている。<br /><br />　総理に極道がなったらどうなるのか、その混乱の悲劇が現実化し<br />ているのである。<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521168452</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521166131.html</link>
      <title>倉敷市、宿泊税は百年早いぞ！倉敷市での宿泊客を相当数、減らす弊害　</title>
      <pubDate>Sun, 19 Jul 2026 12:24:44 +0900</pubDate>
            <description>　やや旧聞に属するが、倉敷市は宿泊税の検討を審議会に委ねていて、その答申、一泊一人200円という結果に落ち着きそうだ。でも、私はその趣旨がよくわからない、というか理解しがたいのである。　オーバーツーリズム、観光の整備の予算？少なくともオーバーツーリズムは現状では倉敷市には縁がない。基本、観光資源は倉敷美観地区に尽きる。あとは瀬戸大橋関係はすっかり衰退に近い。だが倉敷美観地区の盛況は間違いない、JR倉敷駅、この駅は在来線のみで岡山駅から快速もなく、実にかったるいが、耐えられない..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n-thumbnail2.jpg" width="640" height="480"></a>
　やや旧聞に属するが、倉敷市は宿泊税の検討を審議会に委ね
ていて、その答申、一泊一人200円という結果に落ち着きそう
だ。でも、私はその趣旨がよくわからない、というか理解しが
たいのである。

　オーバーツーリズム、観光の整備の予算？少なくともオーバ
ーツーリズムは現状では倉敷市には縁がない。基本、観光資源
は倉敷美観地区に尽きる。あとは瀬戸大橋関係はすっかり衰退
に近い。だが倉敷美観地区の盛況は間違いない、JR倉敷駅、こ
の駅は在来線のみで岡山駅から快速もなく、実にかったるいが、
耐えられないほどではない。駅から近い、徒歩で余裕である。
向かう道中も準美観地区というと大げさだが、それなりの雰囲
気、実にコンパクトにまとまっていい雰囲気である。この駅に
ちかく徒歩圏内、コンパクトにまとまって多彩な魅力、実によ
くできた観光資源でまずまずの動員数、だがオーバーツリーズ
ムが論じられるレベルではない。オーバーツーリズムとはもっ
と巨大な人数、市民生活に支障が出るほど、・・・・・それら
と倉敷市はまだ無縁である。

　京都、東京、大阪で宿泊税、他にもあるだろうがそこらなら
納得だが、では倉敷市で宿泊税？そもそも倉敷観光に来て倉敷
のホテルに宿泊がむしろレアケースである。基本、日帰り的で
、あるいは宿泊は岡山とか、別の場所のケースが多い」。

　ホテルを予約する際、宿泊税の記載があったら、倉敷市とな
れば「宿泊税」とみて、人、遠方の人はどう感じるだろうか？
そこである。「カチン」とくる可能性がある。ならせっかく、
倉敷市に宿泊と考えていたが、岡山かどこかに、と変更するケ
ースだってある。SNSの反応の反発が多い。

　伊東市長は山陽線、伯備線の高架を謳いながら、ついに全く
成果もなく、市長退任が近い。その功罪は？せめて問題踏切の
地下道化ぐらいはやってほしかった。現状はひどい、一歩も
改善していないのだ。

　この倉敷市の宿泊税、私は反対である。マイナスが大きいは
ずだ。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n-thumbnail2.jpg" width="640" height="480" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/749585436_4036814669954380_7606577959380182287_n-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　やや旧聞に属するが、倉敷市は宿泊税の検討を審議会に委ね<br />ていて、その答申、一泊一人200円という結果に落ち着きそう<br />だ。でも、私はその趣旨がよくわからない、というか理解しが<br />たいのである。<br /><br />　オーバーツーリズム、観光の整備の予算？少なくともオーバ<br />ーツーリズムは現状では倉敷市には縁がない。基本、観光資源<br />は倉敷美観地区に尽きる。あとは瀬戸大橋関係はすっかり衰退<br />に近い。だが倉敷美観地区の盛況は間違いない、JR倉敷駅、こ<br />の駅は在来線のみで岡山駅から快速もなく、実にかったるいが、<br />耐えられないほどではない。駅から近い、徒歩で余裕である。<br />向かう道中も準美観地区というと大げさだが、それなりの雰囲<br />気、実にコンパクトにまとまっていい雰囲気である。この駅に<br />ちかく徒歩圏内、コンパクトにまとまって多彩な魅力、実によ<br />くできた観光資源でまずまずの動員数、だがオーバーツリーズ<br />ムが論じられるレベルではない。オーバーツーリズムとはもっ<br />と巨大な人数、市民生活に支障が出るほど、・・・・・それら<br />と倉敷市はまだ無縁である。<br /><br />　京都、東京、大阪で宿泊税、他にもあるだろうがそこらなら<br />納得だが、では倉敷市で宿泊税？そもそも倉敷観光に来て倉敷<br />のホテルに宿泊がむしろレアケースである。基本、日帰り的で<br />、あるいは宿泊は岡山とか、別の場所のケースが多い」。<br /><br />　ホテルを予約する際、宿泊税の記載があったら、倉敷市とな<br />れば「宿泊税」とみて、人、遠方の人はどう感じるだろうか？<br />そこである。「カチン」とくる可能性がある。ならせっかく、<br />倉敷市に宿泊と考えていたが、岡山かどこかに、と変更するケ<br />ースだってある。SNSの反応の反発が多い。<br /><br />　伊東市長は山陽線、伯備線の高架を謳いながら、ついに全く<br />成果もなく、市長退任が近い。その功罪は？せめて問題踏切の<br />地下道化ぐらいはやってほしかった。現状はひどい、一歩も<br />改善していないのだ。<br /><br />　この倉敷市の宿泊税、私は反対である。マイナスが大きいは<br />ずだ。<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521166131</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521160017.html</link>
      <title>これからは国民が天皇陛下御一家をお守りする以外にない。あまりに意固地すぎる時代錯誤の「男系」執着、「女系」排除</title>
      <pubDate>Sat, 18 Jul 2026 12:40:10 +0900</pubDate>
            <description>　　しかし、・・・・・である。ちょっと考えてほしい。高市早苗という人物が日本の総理に就任しているが、日本の総理でこれほど天皇陛下軽視、さらに憎悪が凄まじい。昭和百年の式典でさえ、わざわざ「官邸から陛下の御言葉を入れないように」と要請があったというのだから高市が世界平和を祈念さる天皇陛下が邪魔だったのである。松下政権塾で「軍事問題の権威」になったと思い込んでいたほどだから、「世界平和」は気に入らない、アメリカでさえ明言しない台湾有事での軍事介入も国会で事実上の断言だ。とにかく平..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20286029-07d09.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (60).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20286029-07d09-thumbnail2.jpg" width="638" height="480"></a>
　しかし、・・・・・である。ちょっと考えてほしい。高市早
苗という人物が日本の総理に就任しているが、日本の総理でこ
れほど天皇陛下軽視、さらに憎悪が凄まじい。昭和百年の式典
でさえ、わざわざ「官邸から陛下の御言葉を入れないように」
と要請があったというのだから高市が世界平和を祈念さる天
皇陛下が邪魔だったのである。松下政権塾で「軍事問題の権威
」になったと思い込んでいたほどだから、「世界平和」は気に
入らない、アメリカでさえ明言しない台湾有事での軍事介入も
国会で事実上の断言だ。とにかく平和こそが最も大切との陛下
は目障り、結果、不敬を通り超えた憎悪である。およそ敬意の
かけらも見られない。

　天皇陛下のお子様を徹底排除し、将来、絶対に女性天皇が生
まれる芽を摘んでおこうという、あきれるほどの用意周到な、
奇怪な規定を皇室典範に織り込んでいる。天皇陛下のお子様は
絶対排除、そのお子様にも絶対に皇位継承権を与えない一方で
、事実上、天皇陛下とは無縁の過去に物の旧宮家の男、それが
皇室に養子、その息子に皇位継承権というのだから、おぞまし
いほどの男系執着、女系排除だ。といって「男系が伝統だ」と
一万回聞けば一万回繰り返すだけだろう。もう皇統の維持では
なく、かすかでも旧宮家とこじつける理由があれば男系ならい
い、とうのだ。それを憲政史上初の女性首相が言うのだから、
さすが幻の自叙伝の女性だが、国民として見過ごせるものでは
ない。欧州にわずかに残っていた国王は男系限定という国も女
王を認めることに転換している。江戸時代でも、幕府が女性天
皇に何ら反対などしなかった、家康の孫だったにせよだ。江戸
時代でも二人の女性天皇、別に男系に通じなくてもである。

　日本でもここまで意固地に女性天皇排撃という時代もなかっ
た、まして21世紀にもなって、である。皇統なんかくそくらえ、
男系であることにしか価値はない、というのだか、おぞましい
限りである。

　ともかく不敬を超えた天皇憎悪、軽視、皇統くそくらえ、の
国賊政権なのである。麻生、高市、維新の連中、おしなべて非
国民である。だがその国賊、非国民が権力の座にある。もう国
民が命をかけて天皇陛下御一家を守るしかない。従来、自民党
が天皇崇拝の政党と思われてきたが、今や、見ての惨状である。
高市という人物は、常に、はぐらかし、非常に狡猾で誠意のカ
ケラもなく、本当に油断ならない。およそまっとうな答弁とは
無縁である。

　遠い将来だろう、どうなるか分からないが、現実の政治を換
えていくこと、愛子様を尊重することである。

　美智子さまの悲歎は現在、限りないという。何のために苦難に
耐えて現在の皇室を築いたのか、それが雲散霧消の可能性が出て
きたのだ。陛下のお子様は皇位継承権が認められず、そのお子様
にも皇位継承権がない。
　
　日本の中枢部分が毀損された。国民が天皇陛下御一家を今度こ
そ、守らねばならないのである。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20286029-07d09.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (60).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20286029-07d09-thumbnail2.jpg" width="638" height="480" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20286029-07d09-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　しかし、・・・・・である。ちょっと考えてほしい。高市早<br />苗という人物が日本の総理に就任しているが、日本の総理でこ<br />れほど天皇陛下軽視、さらに憎悪が凄まじい。昭和百年の式典<br />でさえ、わざわざ「官邸から陛下の御言葉を入れないように」<br />と要請があったというのだから高市が世界平和を祈念さる天<br />皇陛下が邪魔だったのである。松下政権塾で「軍事問題の権威<br />」になったと思い込んでいたほどだから、「世界平和」は気に<br />入らない、アメリカでさえ明言しない台湾有事での軍事介入も<br />国会で事実上の断言だ。とにかく平和こそが最も大切との陛下<br />は目障り、結果、不敬を通り超えた憎悪である。およそ敬意の<br />かけらも見られない。<br /><br />　天皇陛下のお子様を徹底排除し、将来、絶対に女性天皇が生<br />まれる芽を摘んでおこうという、あきれるほどの用意周到な、<br />奇怪な規定を皇室典範に織り込んでいる。天皇陛下のお子様は<br />絶対排除、そのお子様にも絶対に皇位継承権を与えない一方で<br />、事実上、天皇陛下とは無縁の過去に物の旧宮家の男、それが<br />皇室に養子、その息子に皇位継承権というのだから、おぞまし<br />いほどの男系執着、女系排除だ。といって「男系が伝統だ」と<br />一万回聞けば一万回繰り返すだけだろう。もう皇統の維持では<br />なく、かすかでも旧宮家とこじつける理由があれば男系ならい<br />い、とうのだ。それを憲政史上初の女性首相が言うのだから、<br />さすが幻の自叙伝の女性だが、国民として見過ごせるものでは<br />ない。欧州にわずかに残っていた国王は男系限定という国も女<br />王を認めることに転換している。江戸時代でも、幕府が女性天<br />皇に何ら反対などしなかった、家康の孫だったにせよだ。江戸<br />時代でも二人の女性天皇、別に男系に通じなくてもである。<br /><br />　日本でもここまで意固地に女性天皇排撃という時代もなかっ<br />た、まして21世紀にもなって、である。皇統なんかくそくらえ、<br />男系であることにしか価値はない、というのだか、おぞましい<br />限りである。<br /><br />　ともかく不敬を超えた天皇憎悪、軽視、皇統くそくらえ、の<br />国賊政権なのである。麻生、高市、維新の連中、おしなべて非<br />国民である。だがその国賊、非国民が権力の座にある。もう国<br />民が命をかけて天皇陛下御一家を守るしかない。従来、自民党<br />が天皇崇拝の政党と思われてきたが、今や、見ての惨状である。<br />高市という人物は、常に、はぐらかし、非常に狡猾で誠意のカ<br />ケラもなく、本当に油断ならない。およそまっとうな答弁とは<br />無縁である。<br /><br />　遠い将来だろう、どうなるか分からないが、現実の政治を換<br />えていくこと、愛子様を尊重することである。<br /><br />　美智子さまの悲歎は現在、限りないという。何のために苦難に<br />耐えて現在の皇室を築いたのか、それが雲散霧消の可能性が出て<br />きたのだ。陛下のお子様は皇位継承権が認められず、そのお子様<br />にも皇位継承権がない。<br />　<br />　日本の中枢部分が毀損された。国民が天皇陛下御一家を今度こ<br />そ、守らねばならないのである。<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521160017</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521155382.html</link>
      <title>真山美保『日本中が私の劇場』決定版、有紀書房　1962，新制作座、その苦難と庶民を対象の演劇への情熱を語る</title>
      <pubDate>Fri, 17 Jul 2026 18:47:04 +0900</pubDate>
            <description>　最初は1957年、昭和32年に平凡社から『日本中が私の劇場』、その後1962年、決定版の『日本中が私の劇場』、基本内容は変わっていない。平凡社からの初版の「あとがき」には「この本は演劇の専門書でもありませんし、教養書でもありません。私という一人の女の精一杯の生き方の記録であり、新制作座という若い劇団の七年間の歩みの記録でもあります」　　中学校の頃だったか、新制作座の公演が学校で行われ、それで劇団名、真山美保、その父親の真山青果という名前が頭に残っていた。演目はジョルジュ・サ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[

　最初は1957年、昭和32年に平凡社から『日本中が私の劇場』
、その後1962年、決定版の『日本中が私の劇場』、基本内容は
変わっていない。平凡社からの初版の「あとがき」には「この
本は演劇の専門書でもありませんし、教養書でもありません。
私という一人の女の精一杯の生き方の記録であり、新制作座と
いう若い劇団の七年間の歩みの記録でもあります」

　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n-thumbnail2.jpg" width="165" height="217"></a>

　中学校の頃だったか、新制作座の公演が学校で行われ、それ
で劇団名、真山美保、その父親の真山青果という名前が頭に残
っていた。演目はジョルジュ・サンド「愛の妖精」,随分とディ
フォルメしてあって、主人公の野生児ファデットがちょっと。

　真山美保さんが新劇俳優になろうと思ったのは19歳の頃、「
随分前から、幼いころから私の悲願は自分の働いたお金で生き
ていきたいということだった。それは後妻に来て、女として涙
の多い生活を送った母の姿が私にそう思わせた、のではと」

　父親の真山青果の反対を押し切って劇団入り、前進座、民衆座、
新協劇団を経て新制作座を創立。俳優修業時代は「真山青果の娘
だから反動的だ、ヤキを入れてやる」と云われ続け、新制作座を
設立すると反動分子の刻印がおされ、、つるし上げに。だが美保
さんは、最初から思想、イデオロギーの問題にはこだわることな
く、芸術の方針として「大衆の中に、大衆とともに」という基本
スローガンをまず定め、新劇という既成概念にとらわれず、民族
的な演劇を作ろうと努めた。演劇はまことに人間臭い仕事だから
、俳優は最も人間らしくなければならない、「観客の生活に結び
つく、これが新劇だ」と云われる。

　タイトルは「日本中が私の劇場」これはこの本の前半部を占め
ている。1950年、秋に新制作座を創立以来、この本の刊行までの
記録となる。

　東京、名古屋、大阪、広島、福岡など大都市での公演は無論、
あるが全国各地、工場から農村、学校と列車やトラックで巡演を
続け、「泥かぶら」の公演だけでも1952年初頭まで1600回に及ん
だ。

　小学校の講堂、地域の公会堂、野外公演で東京公演と同じ内容
の演劇を行う、同じような舞台設営だから劇団員は泣かされ、絶
望してしまう。開幕前に入りを見てほしい、と頼まれても怖くて
見に行けない。客席が満員ならうれしく泣いて、入りが悪いと愕
然としてさらなる演技の向上を誓う、地元の劇団から営業妨害だ
と怒鳴りこまれたり。

　美保さんは女優であると同時に、座付作者だ。主な作品は「
泥かぶら」、「草青みたり」、「市川馬五郎一座顛末記」、「あ
あバラは何処に咲く」、稽古場もなくて、複雑な舞台の手順がぶ
っつけ本番になる、作家であり、演出家、出演俳優でもある美保
さんはそのあまりの負担、プレッシャに発狂寸前とさえなった。
「気迫だけでも持ってぶつかっていく」と団員を激励しか道がな
かったという。

　後半は、父の真山青果を語る「羽虫は何故か知らんだろう」と、
これまで発表してきた、演劇についての短めな論文。さらに随筆
「折々の記」、で三部構成となっている。随筆は30の短文を主題
別に集めたもので、自身の生い立ち、演劇への抱負、素直な文章
で美保さんのかどのないお人柄がしのばれる。そこでの新劇批判
は厳しい。なぜ先発の新劇がかくも、もったいぶって芸術を抽象
化し、わかりにくくしたのか、だ。新劇とは古い時代への正しい
批判であるべきであり、現実の可能な改善へ貢献するものでなけ
ればならないという。演劇への情熱がうかがえる。真山美保さん
は2006年、83歳で亡くなられた。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<br />　最初は1957年、昭和32年に平凡社から『日本中が私の劇場』<br />、その後1962年、決定版の『日本中が私の劇場』、基本内容は<br />変わっていない。平凡社からの初版の「あとがき」には「この<br />本は演劇の専門書でもありませんし、教養書でもありません。<br />私という一人の女の精一杯の生き方の記録であり、新制作座と<br />いう若い劇団の七年間の歩みの記録でもあります」<br /><br />　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n-thumbnail2.jpg" width="165" height="217" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/749300953_4035208673448313_1197612415908527142_n-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　中学校の頃だったか、新制作座の公演が学校で行われ、それ<br />で劇団名、真山美保、その父親の真山青果という名前が頭に残<br />っていた。演目はジョルジュ・サンド「愛の妖精」,随分とディ<br />フォルメしてあって、主人公の野生児ファデットがちょっと。<br /><br />　真山美保さんが新劇俳優になろうと思ったのは19歳の頃、「<br />随分前から、幼いころから私の悲願は自分の働いたお金で生き<br />ていきたいということだった。それは後妻に来て、女として涙<br />の多い生活を送った母の姿が私にそう思わせた、のではと」<br /><br />　父親の真山青果の反対を押し切って劇団入り、前進座、民衆座、<br />新協劇団を経て新制作座を創立。俳優修業時代は「真山青果の娘<br />だから反動的だ、ヤキを入れてやる」と云われ続け、新制作座を<br />設立すると反動分子の刻印がおされ、、つるし上げに。だが美保<br />さんは、最初から思想、イデオロギーの問題にはこだわることな<br />く、芸術の方針として「大衆の中に、大衆とともに」という基本<br />スローガンをまず定め、新劇という既成概念にとらわれず、民族<br />的な演劇を作ろうと努めた。演劇はまことに人間臭い仕事だから<br />、俳優は最も人間らしくなければならない、「観客の生活に結び<br />つく、これが新劇だ」と云われる。<br /><br />　タイトルは「日本中が私の劇場」これはこの本の前半部を占め<br />ている。1950年、秋に新制作座を創立以来、この本の刊行までの<br />記録となる。<br /><br />　東京、名古屋、大阪、広島、福岡など大都市での公演は無論、<br />あるが全国各地、工場から農村、学校と列車やトラックで巡演を<br />続け、「泥かぶら」の公演だけでも1952年初頭まで1600回に及ん<br />だ。<br /><br />　小学校の講堂、地域の公会堂、野外公演で東京公演と同じ内容<br />の演劇を行う、同じような舞台設営だから劇団員は泣かされ、絶<br />望してしまう。開幕前に入りを見てほしい、と頼まれても怖くて<br />見に行けない。客席が満員ならうれしく泣いて、入りが悪いと愕<br />然としてさらなる演技の向上を誓う、地元の劇団から営業妨害だ<br />と怒鳴りこまれたり。<br /><br />　美保さんは女優であると同時に、座付作者だ。主な作品は「<br />泥かぶら」、「草青みたり」、「市川馬五郎一座顛末記」、「あ<br />あバラは何処に咲く」、稽古場もなくて、複雑な舞台の手順がぶ<br />っつけ本番になる、作家であり、演出家、出演俳優でもある美保<br />さんはそのあまりの負担、プレッシャに発狂寸前とさえなった。<br />「気迫だけでも持ってぶつかっていく」と団員を激励しか道がな<br />かったという。<br /><br />　後半は、父の真山青果を語る「羽虫は何故か知らんだろう」と、<br />これまで発表してきた、演劇についての短めな論文。さらに随筆<br />「折々の記」、で三部構成となっている。随筆は30の短文を主題<br />別に集めたもので、自身の生い立ち、演劇への抱負、素直な文章<br />で美保さんのかどのないお人柄がしのばれる。そこでの新劇批判<br />は厳しい。なぜ先発の新劇がかくも、もったいぶって芸術を抽象<br />化し、わかりにくくしたのか、だ。新劇とは古い時代への正しい<br />批判であるべきであり、現実の可能な改善へ貢献するものでなけ<br />ればならないという。演劇への情熱がうかがえる。真山美保さん<br />は2006年、83歳で亡くなられた。<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521155382</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521153325.html</link>
      <title>心ある国民はウンザリの皇室典範改正！ワンポイントの女性天皇さえ絶対阻止！古代、江戸時代も足下に及ばない21世紀の女性蔑視</title>
      <pubDate>Fri, 17 Jul 2026 12:12:16 +0900</pubDate>
            <description>　　この21世紀ほど政治権力が女性天皇絶対排斥、阻止に凝り固まっている時代もないだろう。別に「男系維持」でも奈良時代、と江戸時代は女性天皇が生まれている。もっとも新しい女性天皇は後桜町天皇でまだ男系後継が幼少でワンポイント、中継ぎでの即位だった。江戸時代からは特に女性蔑視が風潮となったがそれでも、幕府が女性天皇即位に反対などなかった。その前の明正天皇が家康の孫だった、ということはあって、もである。　そもそも皇位継承は男系、という掟も合理性もあるわけではない。天皇の継承が男系と..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285929-2bbda.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (59).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285929-2bbda-thumbnail2.jpg" width="640" height="426"></a>
　この21世紀ほど政治権力が女性天皇絶対排斥、阻止に凝り固
まっている時代もないだろう。別に「男系維持」でも奈良時代、
と江戸時代は女性天皇が生まれている。もっとも新しい女性天
皇は後桜町天皇でまだ男系後継が幼少でワンポイント、中継ぎ
での即位だった。江戸時代からは特に女性蔑視が風潮となった
がそれでも、幕府が女性天皇即位に反対などなかった。その前
の明正天皇が家康の孫だった、ということはあって、もである。

　そもそも皇位継承は男系、という掟も合理性もあるわけでは
ない。天皇の継承が男系というのも真の伝統とは無関係である。
皇祖神は天照大神である。もっとも、「天照は実は男だった」と
いう男系派の珍説さえ出てくるというのがこの議論の性格をよく
表している。実は突き詰めれば、というより、突き止めなくても
真実の根拠はない。男尊女卑の風潮として支配的ともなった江戸
時代でも、ワンポイントであろうと女性天皇は堂々と即位してい
るのである。

　それすら絶対に許さない、というのは明治以降と云えるが、特
に21世紀になってガチガチの反女性天皇教という新興宗教があら
たに出来上がったようだ。麻生、竹田恒泰、高市、さらに維新の
連中。麻生の妹が皇室に入っているそうである。

　ともかく速報で皇室典範改正、というより改悪が可決成立した
そうだ。実は男系は日本の天皇制の本質でもなくなんでもなく、
女性軽視の風潮の結果でしかなかったというべき、それでも飛鳥、
奈良時代、江戸時代では女性天皇は即位している。絶対反対とい
う政治勢力もなかった。伝渡欧的に男系だったも天皇制の本質に
何も答えてはいない。…‥欧州の王室は現在、王位のある者の長
子の継承に収束している。日本政治権力のあまりの異様さが突出
しているのだが、オールドメディアはしょせん政治権力の意に沿
った大衆操作をやってくれる。・・・・・だが結果は異様である。
御丁寧にも愛子様を二等皇族に格下げ、将来、女性天皇につなが
る芽は全て摘んでおこうというわけである。

　それで「伝統だ」と納得の国民もいるにせよ、愛子様と他の想
定される「男系」とのあまりの格差を見れば、国民はウンザリだ
ろう。ワンポイントでいい、というより愛子様こそ、日本国の象
懲たる天皇にふさわしい、ことの本質論でも、である。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285929-2bbda.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (59).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285929-2bbda-thumbnail2.jpg" width="640" height="426" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20285929-2bbda-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　この21世紀ほど政治権力が女性天皇絶対排斥、阻止に凝り固<br />まっている時代もないだろう。別に「男系維持」でも奈良時代、<br />と江戸時代は女性天皇が生まれている。もっとも新しい女性天<br />皇は後桜町天皇でまだ男系後継が幼少でワンポイント、中継ぎ<br />での即位だった。江戸時代からは特に女性蔑視が風潮となった<br />がそれでも、幕府が女性天皇即位に反対などなかった。その前<br />の明正天皇が家康の孫だった、ということはあって、もである。<br /><br />　そもそも皇位継承は男系、という掟も合理性もあるわけでは<br />ない。天皇の継承が男系というのも真の伝統とは無関係である。<br />皇祖神は天照大神である。もっとも、「天照は実は男だった」と<br />いう男系派の珍説さえ出てくるというのがこの議論の性格をよく<br />表している。実は突き詰めれば、というより、突き止めなくても<br />真実の根拠はない。男尊女卑の風潮として支配的ともなった江戸<br />時代でも、ワンポイントであろうと女性天皇は堂々と即位してい<br />るのである。<br /><br />　それすら絶対に許さない、というのは明治以降と云えるが、特<br />に21世紀になってガチガチの反女性天皇教という新興宗教があら<br />たに出来上がったようだ。麻生、竹田恒泰、高市、さらに維新の<br />連中。麻生の妹が皇室に入っているそうである。<br /><br />　ともかく速報で皇室典範改正、というより改悪が可決成立した<br />そうだ。実は男系は日本の天皇制の本質でもなくなんでもなく、<br />女性軽視の風潮の結果でしかなかったというべき、それでも飛鳥、<br />奈良時代、江戸時代では女性天皇は即位している。絶対反対とい<br />う政治勢力もなかった。伝渡欧的に男系だったも天皇制の本質に<br />何も答えてはいない。…‥欧州の王室は現在、王位のある者の長<br />子の継承に収束している。日本政治権力のあまりの異様さが突出<br />しているのだが、オールドメディアはしょせん政治権力の意に沿<br />った大衆操作をやってくれる。・・・・・だが結果は異様である。<br />御丁寧にも愛子様を二等皇族に格下げ、将来、女性天皇につなが<br />る芽は全て摘んでおこうというわけである。<br /><br />　それで「伝統だ」と納得の国民もいるにせよ、愛子様と他の想<br />定される「男系」とのあまりの格差を見れば、国民はウンザリだ<br />ろう。ワンポイントでいい、というより愛子様こそ、日本国の象<br />懲たる天皇にふさわしい、ことの本質論でも、である。<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521153325</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521146734.html</link>
      <title>「皇室典範改正」は現代の「紫衣事件」、政治権力が皇室を完全統制と道具化の宣言</title>
      <pubDate>Thu, 16 Jul 2026 12:04:55 +0900</pubDate>
            <description>　元来、皇室、天皇こそが政治権力でもあったが武家政治の成立から現実の政治権力を失い、独自の存在となって征夷大将軍の任命などの権威と精神的な権威となって存続した。天皇と政治権力との関係、相克は長い歴史がある。平安初期の天皇の政治権力保持から藤原氏の摂関政治、上皇の院政から平安末期から平氏の台頭、平治の乱や保元の乱を通じて平清盛が太政大臣に就き、武士の政治権力奪取となった。以後の天皇は南北朝時代も経て政治権力からは退いて武家政治が権力保持が永続化した、・・・・が、政治権力を失った..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[

　元来、皇室、天皇こそが政治権力でもあったが武家政治の成
立から現実の政治権力を失い、独自の存在となって征夷大将軍
の任命などの権威と精神的な権威となって存続した。天皇と政
治権力との関係、相克は長い歴史がある。平安初期の天皇の政
治権力保持から藤原氏の摂関政治、上皇の院政から平安末期か
ら平氏の台頭、平治の乱や保元の乱を通じて平清盛が太政大臣
に就き、武士の政治権力奪取となった。以後の天皇は南北朝時
代も経て政治権力からは退いて武家政治が権力保持が永続化し
た、・・・・が、政治権力を失った天皇、朝廷が政治権力とど
う対峙、したかは日本歴史上の重要な基本的テーマである。

　江戸時代、幕府が始まってほど経たない時期、1627年、寛永
四年の「紫衣事件」は政治権力が天皇、朝廷に絶対的優位にに
立ち、天皇、朝廷を管理するという事態となった。高僧への紫
衣の授与の権利は天皇、朝廷にあり、また朝廷の自主的な収入
源ともなっていたが江戸幕府は既に「禁中並公家諸法度」で天
皇が紫衣を与えることは幕府の事前了承を必要と規定していた。
後水尾天皇は朝廷の侵されざる権利と見做し、幕府の事前了承
を得ず紫衣を授与し、幕府と衝突してしまった。仏教側も幕府
に激しく抗議したが、逆に幕府は沢庵などの高僧を流罪に処し
た。後水尾天皇は激怒し、幕府に告げず突然、退位した。後継
は明正天皇、859年ぶりの女性天皇であった。

　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285829-bd30e.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (58).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285829-bd30e-thumbnail2.jpg" width="391" height="511"></a>

　紫衣事件で江戸幕府という政治権力が天皇、朝廷をその管理下
におき、優越することが決定的となった。それは明維新、「王政
復古」でも天皇の神格化、軍隊の大元帥に、とあたかも王政復古
！しかたかのような神政となったように表向き見えるが、実態は
天皇を政治権力による道具化、というべきであった。

　戦後は日本国憲法のもと、天皇象徴制、天皇の国政関与は政治
権力の指示に従う形式として規定された。

　これまでの経緯を考えれば天皇陛下、皇室はどこまでも政治権力
の管理下、また独自収入源などとも無縁で予算も政治権力の決定に
よるわけである。

　だが今回の皇室典範改正！の本質的な問題は、天皇、皇室の本質
というほかない、天皇たるゆえんの「神性」が政治家によって冒涜
され、実質的に皇統が断絶、俗人に乗っ取られるということである。
現実、天皇陛下、皇室が政治権力の決定に抗する力を持たない。高
市政権の暴走、「立法府の意思」を絶対的とする法案成立に、穏や
かに懸念の御言葉を発されたが、麻生、高市政権は全くお構いなし
である。皇統より、反女性天皇教であるかのような、愛子様も住民
登録の二等皇族への格下げ、不敬極まりない竹田恒泰の意向が噴出
の惨憺たる内容だ。

　もはや法案成立は確実な情勢である。憲法の「皇位継承は世襲」も
「天皇象徴制」も風前の灯火である。
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<br />　元来、皇室、天皇こそが政治権力でもあったが武家政治の成<br />立から現実の政治権力を失い、独自の存在となって征夷大将軍<br />の任命などの権威と精神的な権威となって存続した。天皇と政<br />治権力との関係、相克は長い歴史がある。平安初期の天皇の政<br />治権力保持から藤原氏の摂関政治、上皇の院政から平安末期か<br />ら平氏の台頭、平治の乱や保元の乱を通じて平清盛が太政大臣<br />に就き、武士の政治権力奪取となった。以後の天皇は南北朝時<br />代も経て政治権力からは退いて武家政治が権力保持が永続化し<br />た、・・・・が、政治権力を失った天皇、朝廷が政治権力とど<br />う対峙、したかは日本歴史上の重要な基本的テーマである。<br /><br />　江戸時代、幕府が始まってほど経たない時期、1627年、寛永<br />四年の「紫衣事件」は政治権力が天皇、朝廷に絶対的優位にに<br />立ち、天皇、朝廷を管理するという事態となった。高僧への紫<br />衣の授与の権利は天皇、朝廷にあり、また朝廷の自主的な収入<br />源ともなっていたが江戸幕府は既に「禁中並公家諸法度」で天<br />皇が紫衣を与えることは幕府の事前了承を必要と規定していた。<br />後水尾天皇は朝廷の侵されざる権利と見做し、幕府の事前了承<br />を得ず紫衣を授与し、幕府と衝突してしまった。仏教側も幕府<br />に激しく抗議したが、逆に幕府は沢庵などの高僧を流罪に処し<br />た。後水尾天皇は激怒し、幕府に告げず突然、退位した。後継<br />は明正天皇、859年ぶりの女性天皇であった。<br /><br />　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285829-bd30e.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (58).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285829-bd30e-thumbnail2.jpg" width="391" height="511" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20285829-bd30e-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　紫衣事件で江戸幕府という政治権力が天皇、朝廷をその管理下<br />におき、優越することが決定的となった。それは明維新、「王政<br />復古」でも天皇の神格化、軍隊の大元帥に、とあたかも王政復古<br />！しかたかのような神政となったように表向き見えるが、実態は<br />天皇を政治権力による道具化、というべきであった。<br /><br />　戦後は日本国憲法のもと、天皇象徴制、天皇の国政関与は政治<br />権力の指示に従う形式として規定された。<br /><br />　これまでの経緯を考えれば天皇陛下、皇室はどこまでも政治権力<br />の管理下、また独自収入源などとも無縁で予算も政治権力の決定に<br />よるわけである。<br /><br />　だが今回の皇室典範改正！の本質的な問題は、天皇、皇室の本質<br />というほかない、天皇たるゆえんの「神性」が政治家によって冒涜<br />され、実質的に皇統が断絶、俗人に乗っ取られるということである。<br />現実、天皇陛下、皇室が政治権力の決定に抗する力を持たない。高<br />市政権の暴走、「立法府の意思」を絶対的とする法案成立に、穏や<br />かに懸念の御言葉を発されたが、麻生、高市政権は全くお構いなし<br />である。皇統より、反女性天皇教であるかのような、愛子様も住民<br />登録の二等皇族への格下げ、不敬極まりない竹田恒泰の意向が噴出<br />の惨憺たる内容だ。<br /><br />　もはや法案成立は確実な情勢である。憲法の「皇位継承は世襲」も<br />「天皇象徴制」も風前の灯火である。<br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521146734</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521143631.html</link>
      <title>阿部知二『青い森』1956，終戦後、昭和20年代後半の日本の縮図を描く</title>
      <pubDate>Wed, 15 Jul 2026 22:56:21 +0900</pubDate>
            <description>　この作品は1956年、昭和31年の発表されたものだ。阿部知二の代表作ともされる力作だが、現在では古書でしか入手できなが、それも極度に少なくなっている。　この本の「あとがき」によると、作者はこの中で現代日本のある時期の一断面を描こうとしたらしい。つまり、これまでの小説のように、特定の個人または何人かの運命や性格を描くことではなく、現代史の一節を全体としてとらえ、占領下の日本のさまざまな光景を展望しようというのが執筆動機のようだ。　したがって、この作品に登場のさまざまな人物は、..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282629-14df6.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (26).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282629-14df6-thumbnail2.jpg" width="447" height="447"></a>
　この作品は1956年、昭和31年の発表されたものだ。阿部知二
の代表作ともされる力作だが、現在では古書でしか入手できな
が、それも極度に少なくなっている。

　この本の「あとがき」によると、作者はこの中で現代日本の
ある時期の一断面を描こうとしたらしい。つまり、これまでの
小説のように、特定の個人または何人かの運命や性格を描くこ
とではなく、現代史の一節を全体としてとらえ、占領下の日本
のさまざまな光景を展望しようというのが執筆動機のようだ。

　したがって、この作品に登場のさまざまな人物は、それぞれの
属する階級や世代を代表する役割を持っており、誰が主役で誰が
重要でない端役でしかない、とも言い難い。ただし物語の展開の
必要上、いろんな人物や事件を一人の人物の周囲で整理が便利で
ある。ここに山原鹿一という中年の男が登場する。

　山原は1953年の早春に中国からの引揚者として舞鶴に上陸する。
それからまっすぐ大阪に行って駅の前の、ある大会社の受付に現
れた。だが常務の深志野英二は会議中を理由に、秘書に銘じて山
原に金包みを渡させた。彼はそれを拒否も出来ず、受け取って自分
の卑劣さを恥じた。彼はまた、この会社の神門老人が数日前に亡く
なったと聞かされた。

　山原はこの神門清造の若い時の隠し子であった。清造はむかし大
学を出たばかりの若い鉱山技師として東北にいたころ、土地の大地
主で学生時代の旧友の安仁正郷の家の女中に手を付けて鹿一を生ま
せた。だが彼は関西の著名な財閥の娘と結婚し、実業界に進出、だ
が鹿一は日陰者として東北の田舎で育った。

　　　　　　　　　　　　　　　　
  しかしかれが中学を卒業した時、清造は彼を京都に引き取り、親友
の大学教授の深志野安の家に預け、工業大学に通わせた。鹿一は清
造の実子であることは、神門、深志野両家の子女たちもうすうす感
づいていたが、清造は彼に父とは呼ばせず、事故で死んだ部下の残
した子どもを引き取って養っているように取り繕っていたので鹿一
は皆の間では一段低い者として冷遇された。

 彼はたえず劣等感に苦しみ、反抗的になり、深志野家を追われてある
工場に入った。間もなく、入営し、つづいて大陸における長い兵隊生
活が始まった。やがて彼は上官を殴って脱走し、中国人の間にまじっ
て終戦を迎えた。彼は中国人の娘と結婚し、子供も生まれて平和で幸
福な生活を送っていたが、引揚げが始まると、妻子と泣きながら別れ
て帰国することになった。妻子と別れたくないのはやまやまだったが、
やはり帰国したいという帰巣本能も事実だった。・・・・・彼が大阪
の神門の会社の受付に現れるまでの経歴はざっと以上のような、もの
であった。

　彼はその後、東京に出たが、仕事もなく日雇い労働者になった。そ
こで彼は社会の最下層に落ちぶれている、さまざまな人間たちを見た。
そこには共産党を盲目的に恐れるボス的な男や、奴隷のような境遇に
置かれながら、精神の自由を高唱するアルバイト学生がいた。

　ある日仲間の一人に誘われて、担ぎ屋の群れにまじり、食料の買い
出しに行った。帰りに警官に襲われて列車から飛び降りたが、そのと
き知り合った湯井初江という未亡人が彼が中国から帰国したばかりと
聞いて、自分たちのやっている平和のための話し合いに出て中国での
体験を話してくれ、と頼んできた。




<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282629-14df6.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (26).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20282629-14df6-thumbnail2.jpg" width="447" height="447" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20282629-14df6-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　この作品は1956年、昭和31年の発表されたものだ。阿部知二<br />の代表作ともされる力作だが、現在では古書でしか入手できな<br />が、それも極度に少なくなっている。<br /><br />　この本の「あとがき」によると、作者はこの中で現代日本の<br />ある時期の一断面を描こうとしたらしい。つまり、これまでの<br />小説のように、特定の個人または何人かの運命や性格を描くこ<br />とではなく、現代史の一節を全体としてとらえ、占領下の日本<br />のさまざまな光景を展望しようというのが執筆動機のようだ。<br /><br />　したがって、この作品に登場のさまざまな人物は、それぞれの<br />属する階級や世代を代表する役割を持っており、誰が主役で誰が<br />重要でない端役でしかない、とも言い難い。ただし物語の展開の<br />必要上、いろんな人物や事件を一人の人物の周囲で整理が便利で<br />ある。ここに山原鹿一という中年の男が登場する。<br /><br />　山原は1953年の早春に中国からの引揚者として舞鶴に上陸する。<br />それからまっすぐ大阪に行って駅の前の、ある大会社の受付に現<br />れた。だが常務の深志野英二は会議中を理由に、秘書に銘じて山<br />原に金包みを渡させた。彼はそれを拒否も出来ず、受け取って自分<br />の卑劣さを恥じた。彼はまた、この会社の神門老人が数日前に亡く<br />なったと聞かされた。<br /><br />　山原はこの神門清造の若い時の隠し子であった。清造はむかし大<br />学を出たばかりの若い鉱山技師として東北にいたころ、土地の大地<br />主で学生時代の旧友の安仁正郷の家の女中に手を付けて鹿一を生ま<br />せた。だが彼は関西の著名な財閥の娘と結婚し、実業界に進出、だ<br />が鹿一は日陰者として東北の田舎で育った。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　<br />  しかしかれが中学を卒業した時、清造は彼を京都に引き取り、親友<br />の大学教授の深志野安の家に預け、工業大学に通わせた。鹿一は清<br />造の実子であることは、神門、深志野両家の子女たちもうすうす感<br />づいていたが、清造は彼に父とは呼ばせず、事故で死んだ部下の残<br />した子どもを引き取って養っているように取り繕っていたので鹿一<br />は皆の間では一段低い者として冷遇された。<br /><br /> 彼はたえず劣等感に苦しみ、反抗的になり、深志野家を追われてある<br />工場に入った。間もなく、入営し、つづいて大陸における長い兵隊生<br />活が始まった。やがて彼は上官を殴って脱走し、中国人の間にまじっ<br />て終戦を迎えた。彼は中国人の娘と結婚し、子供も生まれて平和で幸<br />福な生活を送っていたが、引揚げが始まると、妻子と泣きながら別れ<br />て帰国することになった。妻子と別れたくないのはやまやまだったが、<br />やはり帰国したいという帰巣本能も事実だった。・・・・・彼が大阪<br />の神門の会社の受付に現れるまでの経歴はざっと以上のような、もの<br />であった。<br /><br />　彼はその後、東京に出たが、仕事もなく日雇い労働者になった。そ<br />こで彼は社会の最下層に落ちぶれている、さまざまな人間たちを見た。<br />そこには共産党を盲目的に恐れるボス的な男や、奴隷のような境遇に<br />置かれながら、精神の自由を高唱するアルバイト学生がいた。<br /><br />　ある日仲間の一人に誘われて、担ぎ屋の群れにまじり、食料の買い<br />出しに行った。帰りに警官に襲われて列車から飛び降りたが、そのと<br />き知り合った湯井初江という未亡人が彼が中国から帰国したばかりと<br />聞いて、自分たちのやっている平和のための話し合いに出て中国での<br />体験を話してくれ、と頼んできた。<br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521143631</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521142208.html</link>
      <title>れいわ新選組支持者を引き寄せる政党は、受け継げる政党はどこか？既成政党への反逆というスタンス</title>
      <pubDate>Wed, 15 Jul 2026 18:33:20 +0900</pubDate>
            <description>　今年の衆院選、自民党の結果的には地滑り的勝利で自民、維新で実際、悪法を片っ端から法案成立を行うという。「何かやってくれるのでは」が「皇室典範改正」、「再審制度法案」、「副首都法案」、「国旗損壊罪」とか、、国民の切実な生活上の悩みを少しでも解決する法案など皆無で、その真逆である。　そのような中、山本太郎が政界引退を宣言、やはり難病が最大の理由だが選挙での敗北、あげくのオービスでの速度超過違反がダメ押しになったと思える。潔いというのか、無責任のそしりは免れない、が事実は事実でど..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285729-2728b.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (57).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285729-2728b-thumbnail2.jpg" width="640" height="426"></a>
　今年の衆院選、自民党の結果的には地滑り的勝利で自民、
維新で実際、悪法を片っ端から法案成立を行うという。「何か
やってくれるのでは」が「皇室典範改正」、「再審制度法案」
、「副首都法案」、「国旗損壊罪」とか、、国民の切実な生活
上の悩みを少しでも解決する法案など皆無で、その真逆である。

　そのような中、山本太郎が政界引退を宣言、やはり難病が最
大の理由だが選挙での敗北、あげくのオービスでの速度超過違
反がダメ押しになったと思える。潔いというのか、無責任のそ
しりは免れない、が事実は事実でどうしようもない。その情熱
はすさまじかったが、同時に脆さも内蔵していたのは事実だ。

　れいわ新選組、基本支持層は未組織的な階層だ。特に支持政
党もないというのか、あっても既成政党への不満を持つ層だ。
れいわ新選組を「左翼」と評するのは的外れであり、徹底した
リベラリズム、庶民の立場の徹底したリベラリズム、庶民的な
、わかりやすい、単刀直入な要求、政策だ。従来の既成の政党
の持つ、しがらみへのアンチテーゼというべきか、ならまさし
しく庶民側の政党ならもっと支持が増え、選挙結果にそれが現
われてよさそうだが今年の衆院選で大敗した。これが難病とと
もに山本太郎の心が折れた、原因としても、ちょっと粘りにかけ
るのは否めない。2019年立党だから短すぎる。

　で、その支持層を受け継げる政党は？本質的に既成政党への
不満層だから共産、社民、とはあり得ても本筋ではない。政策
より、その成り立ちである。政策も共産などと似ている部分は
あっても基本的な立場、スタンスが異なる。まず労組などとは
水と油である。

　そこで、れいわ新選組と参政党はコインの表と裏だというコ
メント記事が先日あった。実はこれはかなり、本質を穿ってい
いる。その組織、党員制度はオンラインで党員登録が完結、も
似ている。気前よく、オンラインで党員、という政党はなかなか
ない。ただ、れいわ新選組はオーナーズ、という名称であり、
参政党ほど、明確な党員制度ではない。参政党は党費はクレジッ
トカード、明確である。

　参政党が「投票できる政党がない、という人達の声で立ち上げ
た、いっさい既存の団体、組織の支援もない」手作り政党で、そ
れゆえ既存政党支持者、ネトウヨなどからの誹謗中傷も受けやす
いが、庶民視点、未組織、既存の枠組みに入らない、という点で
確かに、れいわ新選組と参政党はコインの裏と表という表現は図
星だろう。既成政党はもういい、そこに投票したい政党はない、
という庶民にとってラジカル・リベラルと「右翼」スタンスの違
いは実は何ら支障はないのである。日本人ファーストも庶民視点
、反グローバリズムは反官僚、反大企業、反オールドメディアで
ある。

　組織構築という点で参政党は類を見ない。党員制度、党費シス
テム、地方議会に着実に進出、党員数もとおの昔に維新超えであ
る。

　れいわ新選組は、山本太郎の個性が強すぎ、山本太郎がコケた
ら即、おしまい、という組織の安定性という点で難があり過ぎた。

　れいわを受け継げるのは、リベラルと右の違いはあっても、や
はり参政党をおいてほかにあるまい。





















<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285729-2728b.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (57).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285729-2728b-thumbnail2.jpg" width="640" height="426" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20285729-2728b-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　今年の衆院選、自民党の結果的には地滑り的勝利で自民、<br />維新で実際、悪法を片っ端から法案成立を行うという。「何か<br />やってくれるのでは」が「皇室典範改正」、「再審制度法案」<br />、「副首都法案」、「国旗損壊罪」とか、、国民の切実な生活<br />上の悩みを少しでも解決する法案など皆無で、その真逆である。<br /><br />　そのような中、山本太郎が政界引退を宣言、やはり難病が最<br />大の理由だが選挙での敗北、あげくのオービスでの速度超過違<br />反がダメ押しになったと思える。潔いというのか、無責任のそ<br />しりは免れない、が事実は事実でどうしようもない。その情熱<br />はすさまじかったが、同時に脆さも内蔵していたのは事実だ。<br /><br />　れいわ新選組、基本支持層は未組織的な階層だ。特に支持政<br />党もないというのか、あっても既成政党への不満を持つ層だ。<br />れいわ新選組を「左翼」と評するのは的外れであり、徹底した<br />リベラリズム、庶民の立場の徹底したリベラリズム、庶民的な<br />、わかりやすい、単刀直入な要求、政策だ。従来の既成の政党<br />の持つ、しがらみへのアンチテーゼというべきか、ならまさし<br />しく庶民側の政党ならもっと支持が増え、選挙結果にそれが現<br />われてよさそうだが今年の衆院選で大敗した。これが難病とと<br />もに山本太郎の心が折れた、原因としても、ちょっと粘りにかけ<br />るのは否めない。2019年立党だから短すぎる。<br /><br />　で、その支持層を受け継げる政党は？本質的に既成政党への<br />不満層だから共産、社民、とはあり得ても本筋ではない。政策<br />より、その成り立ちである。政策も共産などと似ている部分は<br />あっても基本的な立場、スタンスが異なる。まず労組などとは<br />水と油である。<br /><br />　そこで、れいわ新選組と参政党はコインの表と裏だというコ<br />メント記事が先日あった。実はこれはかなり、本質を穿ってい<br />いる。その組織、党員制度はオンラインで党員登録が完結、も<br />似ている。気前よく、オンラインで党員、という政党はなかなか<br />ない。ただ、れいわ新選組はオーナーズ、という名称であり、<br />参政党ほど、明確な党員制度ではない。参政党は党費はクレジッ<br />トカード、明確である。<br /><br />　参政党が「投票できる政党がない、という人達の声で立ち上げ<br />た、いっさい既存の団体、組織の支援もない」手作り政党で、そ<br />れゆえ既存政党支持者、ネトウヨなどからの誹謗中傷も受けやす<br />いが、庶民視点、未組織、既存の枠組みに入らない、という点で<br />確かに、れいわ新選組と参政党はコインの裏と表という表現は図<br />星だろう。既成政党はもういい、そこに投票したい政党はない、<br />という庶民にとってラジカル・リベラルと「右翼」スタンスの違<br />いは実は何ら支障はないのである。日本人ファーストも庶民視点<br />、反グローバリズムは反官僚、反大企業、反オールドメディアで<br />ある。<br /><br />　組織構築という点で参政党は類を見ない。党員制度、党費シス<br />テム、地方議会に着実に進出、党員数もとおの昔に維新超えであ<br />る。<br /><br />　れいわ新選組は、山本太郎の個性が強すぎ、山本太郎がコケた<br />ら即、おしまい、という組織の安定性という点で難があり過ぎた。<br /><br />　れいわを受け継げるのは、リベラルと右の違いはあっても、や<br />はり参政党をおいてほかにあるまい。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521142208</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521136855.html</link>
      <title>皇室典範改正？「万世一系」の虚構さえ吹き飛ぶ反女性天皇教の横行。際限のない政治家の皇室破壊が進行中</title>
      <pubDate>Tue, 14 Jul 2026 22:14:52 +0900</pubDate>
            <description>　天照大神、神武天皇はどこまでも神話の世界である。国家神道、明治以来（必ずしも明治以降がすべてではないが）の国家神道はその神話を政治、国家原理に持ち込んだ。「万世一系」と大日本帝国憲法に、虚構である。全くの虚構だが、実は保守派というのは、この国家神道、大日本帝国憲法の虚構を絶対のドグマとしてきた、・・・・・で麻生、高市らの全く、言語道断の暴走、愚行の結果の「皇室典範改正」だが、別に麻生が「復古的」だったわけではない。復古なら女性天皇は」容認だろう、歴史的に8人も女性天皇はいる..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[

　天照大神、神武天皇はどこまでも神話の世界である。国家神
道、明治以来（必ずしも明治以降がすべてではないが）の国家
神道はその神話を政治、国家原理に持ち込んだ。「万世一系」
と大日本帝国憲法に、虚構である。全くの虚構だが、実は保守
派というのは、この国家神道、大日本帝国憲法の虚構を絶対の
ドグマとしてきた、・・・・・で麻生、高市らの全く、言語道
断の暴走、愚行の結果の「皇室典範改正」だが、別に麻生が「
復古的」だったわけではない。復古なら女性天皇は」容認だろ
う、歴史的に8人も女性天皇はいるのである。それと明治憲法
、国家神道の万世一系ドグマは国家神道の中枢である。無論、
現実には全くの虚構だが、虚構なるが故の狂信がドグマとして
有効に働いてきたのだ、・・・・・・で今度は、

　万世一系の完全否定となった。建前、虚構の万世一系だから
吹き飛んでよさそうなものだが、・・・・・だって天皇陛下と
最低36親等以上離れた旧宮家からの養子の息子、・・・・・
お世辞にも「万世一系」ドグマなど適用できないだろう。それ
は虚構崩壊で好ましい、と善意に解釈ならだが、要は女性天皇
だけは出現させたくない、古代に何人もいた女性天皇否定だか
全然「復古的」でもなんでもない。女性天皇に通じるからと、
女性宮家絶対阻止、愛子様を二等皇族に格下げ、・・・・・・
おいおい、頭は正常ですか？と云いたくなる暴走、愚行の極み
である。政治が皇室を破壊する、それが現在進行形だ。麻生、
高市が、またバックには日本会議である。

　国民が高市のどこに惹かれたのか、私は不思議で仕方がない
が、冷静に政策を見抜くという最低限の重要なセンスが国民に
備わっていなかったということだろう。

　女性天皇：推古天皇

　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028729-6d364.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (7).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028729-6d364-thumbnail2.jpg" width="554" height="554"></a><a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<br />　天照大神、神武天皇はどこまでも神話の世界である。国家神<br />道、明治以来（必ずしも明治以降がすべてではないが）の国家<br />神道はその神話を政治、国家原理に持ち込んだ。「万世一系」<br />と大日本帝国憲法に、虚構である。全くの虚構だが、実は保守<br />派というのは、この国家神道、大日本帝国憲法の虚構を絶対の<br />ドグマとしてきた、・・・・・で麻生、高市らの全く、言語道<br />断の暴走、愚行の結果の「皇室典範改正」だが、別に麻生が「<br />復古的」だったわけではない。復古なら女性天皇は」容認だろ<br />う、歴史的に8人も女性天皇はいるのである。それと明治憲法<br />、国家神道の万世一系ドグマは国家神道の中枢である。無論、<br />現実には全くの虚構だが、虚構なるが故の狂信がドグマとして<br />有効に働いてきたのだ、・・・・・・で今度は、<br /><br />　万世一系の完全否定となった。建前、虚構の万世一系だから<br />吹き飛んでよさそうなものだが、・・・・・だって天皇陛下と<br />最低36親等以上離れた旧宮家からの養子の息子、・・・・・<br />お世辞にも「万世一系」ドグマなど適用できないだろう。それ<br />は虚構崩壊で好ましい、と善意に解釈ならだが、要は女性天皇<br />だけは出現させたくない、古代に何人もいた女性天皇否定だか<br />全然「復古的」でもなんでもない。女性天皇に通じるからと、<br />女性宮家絶対阻止、愛子様を二等皇族に格下げ、・・・・・・<br />おいおい、頭は正常ですか？と云いたくなる暴走、愚行の極み<br />である。政治が皇室を破壊する、それが現在進行形だ。麻生、<br />高市が、またバックには日本会議である。<br /><br />　国民が高市のどこに惹かれたのか、私は不思議で仕方がない<br />が、冷静に政策を見抜くという最低限の重要なセンスが国民に<br />備わっていなかったということだろう。<br /><br />　女性天皇：推古天皇<br /><br />　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028729-6d364.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (7).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images2028729-6d364-thumbnail2.jpg" width="554" height="554" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images2028729-6d364-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a name="more"></a>

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            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521136855</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521135716.html</link>
      <title>岡本太郎『日本再発見』角川ソフィア文庫、太郎さんらしい、思うままの天真爛漫の面目躍如だが</title>
      <pubDate>Tue, 14 Jul 2026 18:37:34 +0900</pubDate>
            <description>　元来は古書だが、その後、角川ソフィア文庫として再刊、現在はkindleで読める。この本の前に岡本太郎は『日本の伝統』という本を出している。ということで今度は現在の日本という発想だったということらしい。　「最も散文的であり、非芸術的と決めつけられ、蔑められ、ほんとんどまともに顧みられない、現代日本のありのままの姿から芸術の問題を掘り起こすこと。我々の誇りと生き甲斐を具体的に突きつけ、この辱めをひっくりかえすために」と、あとがきで執筆動機を述べている。　で、そこで吹雪の秋田に出..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285629-82fd9.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (56).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285629-82fd9-thumbnail2.jpg" width="640" height="471"></a>
　元来は古書だが、その後、角川ソフィア文庫として再刊、
現在はkindleで読める。この本の前に岡本太郎は『日本の伝統』
という本を出している。ということで今度は現在の日本という
発想だったということらしい。

　「最も散文的であり、非芸術的と決めつけられ、蔑められ、
ほんとんどまともに顧みられない、現代日本のありのままの
姿から芸術の問題を掘り起こすこと。我々の誇りと生き甲斐を
具体的に突きつけ、この辱めをひっくりかえすために」と、あ
とがきで執筆動機を述べている。

　で、そこで吹雪の秋田に出かける。東京あたりで見かけるよ
うな、秋田風とされる民芸的なものについては、「にぶく、暗
くて、重くて、貧相で。質朴を売り物にする、いやらしさは鼻
もちならない」と考えていた太郎さんは、本場の秋田の風俗に
接して、すっきりと、ほほえましく純粋なものに感歎するので
ある。わけても年越しでなされる「なまはげ」の行事に「人間
本来の生命力」を見出している。

　長崎で、この港を通じての貿易の利益や珍しい物産だけは歓
迎するが、キリシタンはいや、つまり物は頂いてでも、その精
神は拒否だという、秀吉以来の便宜主義的な文化への態度が、
いかに正しい文化交流を歪めたか、について力説する。

　京都では、友禅染めや慶長小袖が、いかに抽象的に洗練され
たものであるか、抽象芸術こそ日本の誇るべき伝統にほかなら
ぬことを論じるかと思えば、知識人たちのお茶の会に出て、そ
の独善的な優越感に激しい皮肉を浴びせる。太郎さんらしい。

　太郎さんが讃嘆しているのは出雲大社の「野蛮な凄み、迫力」
であり、中尊寺のもつ「逞しく、分厚な凄み」のなかにある「
ため息が出るほど鮮やかさと繊細さ」であり、花巻の鹿踊りの
「残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱」である。ついには大阪
商人のド根性に太郎さんが日ごろから考えている「生活の中の芸
術」の可能性を想起する、のだ。

　太郎さん自身の撮影による各地の風景、風俗、文化遺産、民俗
行事などの写真をふんだんに載り、前述の御託宣まがいの歯切れ
のいい気炎をちりばめた、いたって駆け足の見聞記というべきか。
これを日本再発見、というえるのかどうか、である。もっとも岩
手では、東北文化の代表とも扱われる石川啄木や宮沢賢治につい
て、岡本かの子の息子らしくというのか、こういう低水準な「ひ
弱なもの」が、いつから伝統になったのか、と歎くのだ。その地
の名産の馬、「生命力の炎のかたまりのような動物」に対し、ち
ょっと面目ないだろうというような太郎さんの言い回しは面白く
もある。

　そいうわけで「土地のポテンシャルなエネルギーに火をつけ、
実践的に協力」することで、将来の逞しい民族芸術を掘り起こす
、という当初の壮大な思いには、ちょっと程遠いかもしれず、な
にはともあれ、太郎さんらしい天真爛漫は面目躍如、それは確か
に魅力だ。









<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285629-82fd9.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="images (56).jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/images20285629-82fd9-thumbnail2.jpg" width="640" height="471" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/images20285629-82fd9-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　元来は古書だが、その後、角川ソフィア文庫として再刊、<br />現在はkindleで読める。この本の前に岡本太郎は『日本の伝統』<br />という本を出している。ということで今度は現在の日本という<br />発想だったということらしい。<br /><br />　「最も散文的であり、非芸術的と決めつけられ、蔑められ、<br />ほんとんどまともに顧みられない、現代日本のありのままの<br />姿から芸術の問題を掘り起こすこと。我々の誇りと生き甲斐を<br />具体的に突きつけ、この辱めをひっくりかえすために」と、あ<br />とがきで執筆動機を述べている。<br /><br />　で、そこで吹雪の秋田に出かける。東京あたりで見かけるよ<br />うな、秋田風とされる民芸的なものについては、「にぶく、暗<br />くて、重くて、貧相で。質朴を売り物にする、いやらしさは鼻<br />もちならない」と考えていた太郎さんは、本場の秋田の風俗に<br />接して、すっきりと、ほほえましく純粋なものに感歎するので<br />ある。わけても年越しでなされる「なまはげ」の行事に「人間<br />本来の生命力」を見出している。<br /><br />　長崎で、この港を通じての貿易の利益や珍しい物産だけは歓<br />迎するが、キリシタンはいや、つまり物は頂いてでも、その精<br />神は拒否だという、秀吉以来の便宜主義的な文化への態度が、<br />いかに正しい文化交流を歪めたか、について力説する。<br /><br />　京都では、友禅染めや慶長小袖が、いかに抽象的に洗練され<br />たものであるか、抽象芸術こそ日本の誇るべき伝統にほかなら<br />ぬことを論じるかと思えば、知識人たちのお茶の会に出て、そ<br />の独善的な優越感に激しい皮肉を浴びせる。太郎さんらしい。<br /><br />　太郎さんが讃嘆しているのは出雲大社の「野蛮な凄み、迫力」<br />であり、中尊寺のもつ「逞しく、分厚な凄み」のなかにある「<br />ため息が出るほど鮮やかさと繊細さ」であり、花巻の鹿踊りの<br />「残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱」である。ついには大阪<br />商人のド根性に太郎さんが日ごろから考えている「生活の中の芸<br />術」の可能性を想起する、のだ。<br /><br />　太郎さん自身の撮影による各地の風景、風俗、文化遺産、民俗<br />行事などの写真をふんだんに載り、前述の御託宣まがいの歯切れ<br />のいい気炎をちりばめた、いたって駆け足の見聞記というべきか。<br />これを日本再発見、というえるのかどうか、である。もっとも岩<br />手では、東北文化の代表とも扱われる石川啄木や宮沢賢治につい<br />て、岡本かの子の息子らしくというのか、こういう低水準な「ひ<br />弱なもの」が、いつから伝統になったのか、と歎くのだ。その地<br />の名産の馬、「生命力の炎のかたまりのような動物」に対し、ち<br />ょっと面目ないだろうというような太郎さんの言い回しは面白く<br />もある。<br /><br />　そいうわけで「土地のポテンシャルなエネルギーに火をつけ、<br />実践的に協力」することで、将来の逞しい民族芸術を掘り起こす<br />、という当初の壮大な思いには、ちょっと程遠いかもしれず、な<br />にはともあれ、太郎さんらしい天真爛漫は面目躍如、それは確か<br />に魅力だ。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521135716</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521133732.html</link>
      <title>日本はいつまでアメリからの原油輸入、大量の原油輸入が可能か？原油、ナフサ不足はこれからという現実</title>
      <pubDate>Tue, 14 Jul 2026 12:57:36 +0900</pubDate>
            <description>　イラン戦争の影響でイランがホルムズ海峡封鎖による原油タンカーなどの通行を妨害し、世界の石油市場を人質化する戦術を思うままに行使という状況、中東産原油に依存のアジア諸国、特に中東産原油依存率が最も高かった日本、95％前後が中東産原油だった。最も影響を受けるのは日本ということだが、ナフサ不足などの影響で多くの樹脂製品、資材が不足という事態が生じているが（日本政府が認めないは関係ない話である）　概略的だが以下の図が参考になる　　これにはないがインド、2024年統計は輸入先がロシア..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[

　イラン戦争の影響でイランがホルムズ海峡封鎖による原油
タンカーなどの通行を妨害し、世界の石油市場を人質化する
戦術を思うままに行使という状況、中東産原油に依存のアジ
ア諸国、特に中東産原油依存率が最も高かった日本、95％
前後が中東産原油だった。最も影響を受けるのは日本という
ことだが、ナフサ不足などの影響で多くの樹脂製品、資材が
不足という事態が生じているが（日本政府が認めないは関係
ない話である）

　概略的だが以下の図が参考になる

　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n-thumbnail2.jpg" width="442" height="322"></a>

　これにはないがインド、2024年統計は輸入先がロシアから35％
、中東から45％、他は西アフリカ、中央アジアである。中東から
95％であった日本はホルムズ海峡封鎖、イラン革命防衛隊の通行
妨害で致命的影響を受けるはずだが、何とかやってこれた。

　理由として

　①原油輸入代替がアメリカからなされている。他国もあるが
　圧倒的にアメリカである。

　②日本国内の原油備蓄の放出

　に尽きる。

　上の図からわかる、大雑把だが、分かるのは日本の原油輸入量
はさしたる量ではなく自国生産がないこと、ほぼ中東依存という
非常に単純な状況であった。


　さらに言えば原油消費量＝中東からの輸入＋中東以外からの輸入
　　　　　　　　　　　　　＋自国生産

　日本の石油消費量は決して莫大でもなく、臨時の代替は可能な
　輸出国があれば、比較的容易、ということがわかる。

　その代替可能輸入国がアメリカであるわけだが、

　アメリカの原油生産が突然、劇的に増加したわけはない。単純に
原油の、戦略的備蓄の放出を大規模に行った結果にすぎない。逆に
云えば、あくまでイラン戦争終焉、ホルムズ海峡正常化をあてにし
ての一時的な対応でしかない、・・・・・で、いつまでアメリカか
らの代替が可能か、である。イラン戦争を起こした責任上、中東産
原油に依存の主にアジア諸国へ備蓄放出で大量の輸出を行っている
が限度がある。終わりが近い、それがいつまでか、である。

　アメリカの原油備蓄は商業的備蓄と戦略的備蓄SPRがあるが放出
されているのはSRPである。週に900万バレルという放出ペースを
続けているが、SRPも最低限備蓄量があり、7月初旬で3億2千万バー
レルでピーク時の半分以下、1983年以来の最低水準である。これを
さらに放出継続では、枯渇も現実化であり、7月いっぱいでほぼ放出
は限界となるわけである。対応してホルムズ海峡が開放されて中東
からの輸出が正常化すればいいし、その期待だったが、現実はそうは
なっていない。

　SPRからの備蓄放出あっての日本のアメリカ原油輸入であり、それ
もカウントダウンが迫っている。ゼロになるわけでもないが、大きく
輸入可能量は減少は免れない。

　原油、ナフサ不足も実はこれから、が深刻化とみるのも非常に現実
的である。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<br />　イラン戦争の影響でイランがホルムズ海峡封鎖による原油<br />タンカーなどの通行を妨害し、世界の石油市場を人質化する<br />戦術を思うままに行使という状況、中東産原油に依存のアジ<br />ア諸国、特に中東産原油依存率が最も高かった日本、95％<br />前後が中東産原油だった。最も影響を受けるのは日本という<br />ことだが、ナフサ不足などの影響で多くの樹脂製品、資材が<br />不足という事態が生じているが（日本政府が認めないは関係<br />ない話である）<br /><br />　概略的だが以下の図が参考になる<br /><br />　<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n-thumbnail2.jpg" width="442" height="322" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/747324667_4032138567088657_3723819731296967786_n-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />　これにはないがインド、2024年統計は輸入先がロシアから35％<br />、中東から45％、他は西アフリカ、中央アジアである。中東から<br />95％であった日本はホルムズ海峡封鎖、イラン革命防衛隊の通行<br />妨害で致命的影響を受けるはずだが、何とかやってこれた。<br /><br />　理由として<br /><br />　①原油輸入代替がアメリカからなされている。他国もあるが<br />　圧倒的にアメリカである。<br /><br />　②日本国内の原油備蓄の放出<br /><br />　に尽きる。<br /><br />　上の図からわかる、大雑把だが、分かるのは日本の原油輸入量<br />はさしたる量ではなく自国生産がないこと、ほぼ中東依存という<br />非常に単純な状況であった。<br /><br /><br />　さらに言えば原油消費量＝中東からの輸入＋中東以外からの輸入<br />　　　　　　　　　　　　　＋自国生産<br /><br />　日本の石油消費量は決して莫大でもなく、臨時の代替は可能な<br />　輸出国があれば、比較的容易、ということがわかる。<br /><br />　その代替可能輸入国がアメリカであるわけだが、<br /><br />　アメリカの原油生産が突然、劇的に増加したわけはない。単純に<br />原油の、戦略的備蓄の放出を大規模に行った結果にすぎない。逆に<br />云えば、あくまでイラン戦争終焉、ホルムズ海峡正常化をあてにし<br />ての一時的な対応でしかない、・・・・・で、いつまでアメリカか<br />らの代替が可能か、である。イラン戦争を起こした責任上、中東産<br />原油に依存の主にアジア諸国へ備蓄放出で大量の輸出を行っている<br />が限度がある。終わりが近い、それがいつまでか、である。<br /><br />　アメリカの原油備蓄は商業的備蓄と戦略的備蓄SPRがあるが放出<br />されているのはSRPである。週に900万バレルという放出ペースを<br />続けているが、SRPも最低限備蓄量があり、7月初旬で3億2千万バー<br />レルでピーク時の半分以下、1983年以来の最低水準である。これを<br />さらに放出継続では、枯渇も現実化であり、7月いっぱいでほぼ放出<br />は限界となるわけである。対応してホルムズ海峡が開放されて中東<br />からの輸出が正常化すればいいし、その期待だったが、現実はそうは<br />なっていない。<br /><br />　SPRからの備蓄放出あっての日本のアメリカ原油輸入であり、それ<br />もカウントダウンが迫っている。ゼロになるわけでもないが、大きく<br />輸入可能量は減少は免れない。<br /><br />　原油、ナフサ不足も実はこれから、が深刻化とみるのも非常に現実<br />的である。<a name="more"></a>

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            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
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                </item>
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      <link>https://tsubuyaki3578.com/article/521128883.html</link>
      <title>瀧井孝作『松島秋色』1952，風景だけで人間が出てこない小説。俳句の小説化かもしれない</title>
      <pubDate>Mon, 13 Jul 2026 18:35:41 +0900</pubDate>
            <description>　瀧井孝作さんの『松島秋色』は昭和27年、1952年「群像」8月号に掲載された、何というか、一種の実験小説といっていいかもしれない。実は瀧井さんは「自然の風景だけで、人間が全然出て来ない小説を書いてみたい」と云ったことがるそうだ。その理念というか思いの実現だろうか。　この作品、能楽師の喜多実が平泉の中尊寺で新作能の「秀衡」をやるというので、それに同行した作者が、松島や塩釜、平泉、石巻などを見物する紀行文である。・・・・・だからこれを、そもそも小説と云えるかどうか、だが瀧井さん..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/matsu_logo.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="matsu_logo.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/matsu_logo-thumbnail2.jpg" width="524" height="350"></a>
　瀧井孝作さんの『松島秋色』は昭和27年、1952年「群像」8
月号に掲載された、何というか、一種の実験小説といっていい
かもしれない。実は瀧井さんは「自然の風景だけで、人間が全
然出て来ない小説を書いてみたい」と云ったことがるそうだ。
その理念というか思いの実現だろうか。

　この作品、能楽師の喜多実が平泉の中尊寺で新作能の「秀衡」
をやるというので、それに同行した作者が、松島や塩釜、平泉、
石巻などを見物する紀行文である。・・・・・だからこれを、そ
もそも小説と云えるかどうか、だが瀧井さんならではは確かだろ
うか。俳句出身という風情は十分以上ある。

　「松の美しい島々は、大方腰高で、岸は壁に似ていた。松の美
しい島々は、よく見ると、大方、泥板岩凝灰岩などの浸食した一
枚岩だが、見た眼には、一枚岩と云うよりも、水の中に、土手か
土壁かと看えた。その頂きに、松が僅かに生えている風で。大部
分、地肌が露出していて、それは亦、各々に、明るい淡い色合い
が看えた。黄色、茶色、赫い色などは、泥板岩の島。白い色、灰
色、薄墨色などは凝灰岩の島。両方混合の色合いの島も看えたり
した。それは、凡そ茲ら全体の地質が、脆弱な浸食され易い岩壁
で、その浸食の、溶け残り、と看えた」

　俳句の達人、というか、いかにもらしい丹念で的確な描写であ
り、句読点の置き方も苦心の跡がうかがわれる。見方にもよるが、
日本語の可能性に挑戦した？と云えば大げさかもしれないが、こ
の文章を勉強と思って熟読玩味すべきかもしれない。・・・さり
とて、これが本来の意味の小説とは思いにくい、というか思いた
くないが、瀧井文学はコクのある国民文学の資格がある、と思え
る。










<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/matsu_logo.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="matsu_logo.jpg" src="https://tsubuyaki3578.up.seesaa.net/image/matsu_logo-thumbnail2.jpg" width="524" height="350" onclick="location.href = 'https://tsubuyaki3578.com/upload/detail/image/matsu_logo-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　瀧井孝作さんの『松島秋色』は昭和27年、1952年「群像」8<br />月号に掲載された、何というか、一種の実験小説といっていい<br />かもしれない。実は瀧井さんは「自然の風景だけで、人間が全<br />然出て来ない小説を書いてみたい」と云ったことがるそうだ。<br />その理念というか思いの実現だろうか。<br /><br />　この作品、能楽師の喜多実が平泉の中尊寺で新作能の「秀衡」<br />をやるというので、それに同行した作者が、松島や塩釜、平泉、<br />石巻などを見物する紀行文である。・・・・・だからこれを、そ<br />もそも小説と云えるかどうか、だが瀧井さんならではは確かだろ<br />うか。俳句出身という風情は十分以上ある。<br /><br />　「松の美しい島々は、大方腰高で、岸は壁に似ていた。松の美<br />しい島々は、よく見ると、大方、泥板岩凝灰岩などの浸食した一<br />枚岩だが、見た眼には、一枚岩と云うよりも、水の中に、土手か<br />土壁かと看えた。その頂きに、松が僅かに生えている風で。大部<br />分、地肌が露出していて、それは亦、各々に、明るい淡い色合い<br />が看えた。黄色、茶色、赫い色などは、泥板岩の島。白い色、灰<br />色、薄墨色などは凝灰岩の島。両方混合の色合いの島も看えたり<br />した。それは、凡そ茲ら全体の地質が、脆弱な浸食され易い岩壁<br />で、その浸食の、溶け残り、と看えた」<br /><br />　俳句の達人、というか、いかにもらしい丹念で的確な描写であ<br />り、句読点の置き方も苦心の跡がうかがわれる。見方にもよるが、<br />日本語の可能性に挑戦した？と云えば大げさかもしれないが、こ<br />の文章を勉強と思って熟読玩味すべきかもしれない。・・・さり<br />とて、これが本来の意味の小説とは思いにくい、というか思いた<br />くないが、瀧井文学はコクのある国民文学の資格がある、と思え<br />る。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>小説、文学</category>
      <author>ポコアポコ3578</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,tsubuyaki3578/521128883</guid>
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